「置かれた場所で咲きなさい」という言葉は「Bloom where God has planted you(神が植えたところで咲きなさい)」を訳したものだそうです。「今置かれた場所こそが、今のあなたの居場所です」という意味合いだそうですが、この言葉に囚われてなのか、つい”縛りプレイ”を自らに課している方が多いように感じる今日この頃です。
例えば、会社員として頑張ることもそう。辞めたり転職したりする自由があなたにはあるはず。今ココにいるのが「ベスト」と自身で考えたのであれば、それでも良いでしょう。しかし、いくらでも自ら居場所を変えられるのにも関わらず、頑張って頑張って頑張ってその場所に留まり、「成果が出ずにボロボロになっている方も少なくないのでは?」と思います。
営業職なのに口下手な知人は、「成果を出すために」と頑張ってコミュニケーション術や交渉術を学ぼうとしていました。苦手なことを克服しようと努力するのは素晴らしいことですし、安易に投げ出さないことは成長に繋がるかもしれません。
ただ、自分自身で「やりたい」と思うならば、その試みは続くのでいつか成果も出るでしょうが、「やりたくない」のであれば話は別です。「自分に与えられた役割だから全うしなければ……」と無理に頑張る必要はないと私は確信しています。「やりたくない」気持ちを押し殺して無理しても、続かないですし壊れるだけです。なかには病んでもなお頑張る人もいて、そんな人を世間は称賛する雰囲気もあります。
個人的には痛そうにしている人、苦しそうにしている人を見て喜んだり面白がったりするのは悪趣味としか思えません。同様に病んでもなお頑張る人を称賛することにも違和感しか覚えないのです。他人が苦しんでいる状態を称賛するなんて酷くないでしょうか? もちろん、本人が苦しんでいることを楽しんでいたり、喜んでいるなら話は別ですが。