鈴木あきえ(39歳)の人生を変えた『王様のブランチ』出演。「布面積がどんどん小さくなって…」グラビア活動の引退が転機に
才能が群雄割拠する芸能界。生き馬の目を抜く業界ゆえ、長く活躍し続けることができるのはほんの一握りだろう。メディアから姿を消す人物も少なくない。
そんな中、タレント・鈴木あきえさん(39歳)は、2004年のデビューから20年以上に渡り活躍を続けている。
自身のライフステージも求められる役割も変わりながら、芸能界の荒波を乗り越えてきた半生を本人に振り返ってもらった。

――鈴木さんは、2004年にグラビアでデビューされています。元から芸能界に憧れはあったんですか?
鈴木:なかったですね。学生時代は、子どもに関わる仕事をしたいと思っていて、保育関係への進学を考えていました。
――そこからなぜ芸能の道に?
鈴木:高校時代、チアリーディング部に入っていたんですが、3年で引退したら心に穴が空いたようになったんですよ。
部活の引退を迎えた時に、芸能関係に繋がりのあった叔父に「芸能やりなよ」って言われて。叔父は、私が小さい頃から芸能界入りを勧めていたんですが、最初は「うざいからやめて(笑)」みたいな感じでした。でも、部活がなくなったら「1年だけやってみようかな」と思えて。
――「やってみようかな」が決意に変わったのには、誰かの後押しがありましたか?
鈴木:「保育か芸能かどっちにする!?」という、鈴木家の家族会議が開かれました(笑)。そこで、家族が「短大や専門は何年後でも行ける! 逆に芸能は今しかないんじゃない?」と言ってくれたのが大きいですね。

――デビューは青年誌で、いわゆる「グラビアアイドル」ですね。
鈴木:当時、若い女性タレントはグラビアを通る例が多かったんですよね。若槻千夏さんやほしのあきさん、小倉優子さんがトップにいた時代です。
――他の方同様、グラビアからタレントには自然と移行したんですか?
鈴木:いえ、私は当時の社長に「グラビアは辞めたいです」って伝えましたね。
――どうして辞めたいと思ったんですか?
鈴木:17歳でデビューして、19歳で辞めるまでにDVDも6枚出させてもらったんですが、回を追うごとに水着の布面積がどんどん小さくなるんですよ(笑)。当時は結婚の予定なんてまだなかったんですけど、「こうした映像や写真は、将来の義母に見せられない」と思って、グラビア活動は辞めようかなと。
グラビアを辞めたいことを社長に伝えたら、「じゃあ、テレビの方で頑張ってみるか」と話してくれて。私にとって、芸能生活でのターニングポイントは3つあるんですが、最初の転換点が『王様のブランチ』(TBS系列)ですね。
――世間のイメージもブランチのイメージが強いですが、ご自身にとってもターニングポイントなんですね。
鈴木:テレビのことを1から10まで教わった、「芸能界の塾」だと思っています。
――タレントとしての振る舞いなどを学んだということでしょうか?
鈴木:それもあるんですが、当時のブランチリポーターの役割の半分はスタッフ仕事なんですよ。スタッフの方とロケハンにも行きますし、訪問するお店の方と話して商品をどう紹介してほしいかを聞いたり、ゲストの方との打ち合わせにも参加します。
技術スタッフさんと一緒に機材車に乗って現場に行って、ロケハンして打ち合わせしたあとにゲストの方をお迎えしていましたし。ロケ現場の動きを通じて、視聴者の方が知りたい情報、制作陣が表現したいもの、お店の方が伝えたいことを総合的に考えて動くことを学びましたね。
――その上で、カメラが回れば出役になるわけですし。
鈴木:たとえば、お箸で持ち上げた食べ物を口に運ぶとピントがずれるので、口で迎えに行ったほうが商品がキレイに見えるんです。こうした出役としての”いろは”もブランチで教わりましたね。

鈴木あきえさん
家族会議で芸能界入りを決断
「将来の義母に見せられない」と思い…

赤い法被の印象が強いブランチ時代
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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