更新日:2026年08月21日 19:39
恋愛・結婚

おもちゃの指輪を胸に、生まれ故郷の長崎へ 『五十年目の両想い』/新堂冬樹

【これまでのあらすじ】 淡い初恋の記憶を振り返る豊に対して、美沙は軽井沢での生活や恋愛観についてあけすけに問いかけた。冗談を交えた会話の裏で、生涯忘れられない女性への思いが静かに再燃する。留守中の業務を指示した豊は、急ぎ仕度を整え、故郷の長崎へと向かう。 【主な登場人物】 豊(ゆたか)
五十五歳。児童文学出版社「童夢ファクトリー」社長。穏やかで争いを好まない性格。五十年前に抱いた初恋を、いまも胸の奥にしまい続けている。 真理亜(まりあ)
豊の幼なじみ。明るく自由奔放で、いつも豊を振り回してきた”太陽のような少女”。豊にとって、決して忘れられない存在。 白川美沙(しらかわ・みさ)
「童夢ファクトリー」編集長。豊の元部下で、令和世代らしい感性を持つ仕事のパートナー。歯に衣着せぬ物言いで豊を翻弄するが、その姿はどこか真理亜を思い出させる。 【前回】⇒「今でも色褪せない、ほろ苦い放課後の記憶」 五十年目の両想い

1-3 引き出しの中の宝物

 自室に入った豊はデスクの一番下の引き出しの鍵を開けた。  引き出しの中から、豊は白革のリングケースを取り出して蓋を開けた。  照明の光をキラキラと反射するおもちゃの指輪……豊は半世紀も大切に保管してきた「宝物」をみつめて記憶を巻き戻した。   『もしもし? 豊ちゃん、起きてた?』 『うん、いま、ゲラを読んでたよ』 『いきなりだけどさ、子供の頃に愛を誓った教会を覚えてる? 豊ちゃんがお化け屋敷みたいと言って私が怒ったところ』  彼女のクスクスと笑う声が受話口から流れてきた。 『ああ、覚えてるよ。君が王子様と結婚式を挙げる予定の教会だったよね?』  あれはもう、遠い遠い昔のほろ苦い思い出だった。 『二人の王子様とは、結婚式を挙げなかったけどさ』  彼女がため息まじりに言った。 『きっと、その二人は旦那さんにはなれても王子様じゃなかったんだよ』  豊の口調は冗談っぽかったが、本心だった。 『……そうね……そうかな……うん、そうだと思う』  彼女にしては珍しく、自分に言い聞かせているようだった。 『あのさ、今度の土曜日に会える?』  気を取り直したように、彼女が訊ねてきた。 『今週の土曜日? もしかして東京にきてるの?』  豊は訊ね返した。  彼女は長崎でピラティスのジムを経営していた。 『そんなわけないじゃない。ジムが忙しいんだからさ。長崎よ』 『僕だって仕事が……』 『え!? なに!?』  彼女が豊を遮り圧をかけてきた。 『いや、なんでもない。僕が君の職場に行けばいいの?』  豊は諦めた。  彼女と争っても勝ち目がないのは、昔からわかっていた。  また、勝とうとも思わなかった。  豊は彼女がまっすぐ歩けるように後ろから支え、歩き疲れたら彼女の休める場所でいられれば幸せだった。 『ううん、職場じゃなくて、あの教会』  『教会!? なんで!?』  豊は驚き大声で訊ねた。 『王子様にしてあげる』  彼女はあっけらかんとした口調で言った。  瞬間、彼女がなにを言っているのかがわからなかった。 『えっ……王子様?』 『なに? 私の王子様になるのが不満なわけ? 豊ちゃん、ずっと私の王子様になりたかったんじゃないの?』 『いや……不満なわけないよ。あまりにも唐突だから、担がれてるのかな? とか思ってさ』  豊は本人に言った通り、彼女の言葉を鵜呑みにはしていなかった。 『担がれてるかどうか、教会にきてみたらわかるよ』 『でも、急過ぎるよ。いま抱えてる作家さんの原稿の段取りもあるし……』 『土曜日の朝九時。五分しか待たないよ。もしこなかったら、もう二度と会わないから。 じゃあね!』  彼女は豊の言葉を遮り一方的に告げると電話を切った。   「五歳の頃から、なんにも変わらないな」  三日前にかかってきた電話のやり取りを思い出していた豊は、口元を綻ばせた。 「僕を王子様にしてあげる……か」  豊は呟いた。  本気にしたら、信じたの!? と笑われるかもしれない。  本気にしたら、気が変わっちゃった! となかったことにされるかもしれない。  それでもよかった。  一パーセントでも彼女が本気かもしれないのなら……一パーセントでも彼女の王子様になれる可能性があるのなら、豊は世界の果てまで迎えに行くつもりだ。  豊はおもちゃの指輪をネイビーの麻のジャケットの胸ポケットに入れると、車のキーを手に部屋を出た。 小説家、実業家、映画監督。1998年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無間地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『虹の橋からきた犬』『そのヘビ、ただのヒモかもよ!』『シン人間失格』など、著書多数。芸能プロダクションも経営し、その活動は多岐にわたる。