恋愛・結婚

誰も知らない、ふたりの絆 『五十年目の両想い』/新堂冬樹

【これまでのあらすじ】 デスクの奥からおもちゃの指輪を取り出す豊。三日前に真理亜からかかってきた電話は、「王子様にしてあげる」と一方的に告げて切れた。いつもの冗談なのだろうか、それともーー淡い期待を抱きつつ、大切な宝物と揺るがない決意を胸にしまうのだった。 【主な登場人物】 豊(ゆたか)
五十五歳。児童文学出版社「童夢ファクトリー」社長。穏やかで争いを好まない性格。五十年前に抱いた初恋を、いまも胸の奥にしまい続けている。 真理亜(まりあ)
豊の幼なじみ。明るく自由奔放で、いつも豊を振り回してきた”太陽のような少女”。豊にとって、決して忘れられない存在。 白川美沙(しらかわ・みさ)
「童夢ファクトリー」編集長。豊の元部下で、令和世代らしい感性を持つ仕事のパートナー。歯に衣着せぬ物言いで豊を翻弄するが、その姿はどこか真理亜を思い出させる。 【前回】⇒「おもちゃの指輪を胸に、生まれ故郷の長崎へ」 五十年目の両想い           

2-1 2026年夏

   北陸新幹線「はくたか」に乗り込んだ豊は、軽井沢駅構内の売店で買ったミルクと砂糖入りの缶コーヒーを取り出しステイオンタブの開け口を引いた。  普段は健康を考えてブラックの無糖しか飲まないが、今日は特別だった。  口の中に広がる懐かしい甘さに、豊は眼を細めた。     『またそんなに甘いの飲んでるの?』    真理亜には、よく怒られた。  豊は小学生の頃から甘いコーヒーが大好きで、日に一本は飲んでいた。   友達が「コーラ」や「ファンタ」を飲んでいるときも、豊は「UCCミルクコーヒー」だった。  それは、高校生になっても変わらなかった。    『そんなのガブガブ飲んでるから、のろまなかめになるんじゃない』    ミルクコーヒーのまろやかな甘さとともに、真理亜のダメ出しの声が蘇った。  五歳の頃から、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人と、真理亜には数えきれないほど叱られた……数えきれないほど振り回された。  普通の感覚を持つ男性なら、耐えられないだろう。  だからといって、豊にM的傾向があるというわけではない。  よく耐えられるね。嫌にならない?  豊と真理亜の関係を知る共通の友人から、耳にたこができるほど言われた言葉だ。   そのたびに、豊は言った。  嫌にならないよ……と。  その理由を、誰かに話したことはなかった。  豊自身、理由をきちんと説明できる自信はなかった。  真理亜だから。  理由と呼べるものがあるとすれば、それだけだった。  それだけで、五十年間、変わらぬ思いを抱き続けてきた。 『のろまなかめが一国一城の主になるなんてやるじゃない。見直したわ。豊ちゃん、喉が渇いた。アイスコーヒーをお願い』 『お茶汲みなら、私がやります』     去年、真理亜が東京にきたときに「童夢ファクトリー」に寄ったことがあった。  いつもの調子で自己中心的に振舞う真理亜の言動に、美沙がむっとして言った。 『氷の数とか、豊ちゃんは私の好みを把握してるの。豊ちゃん、早くしてよ』 『ウチの社長を顎で使わないでもらえますか? 氷の数を教えてください』  美沙は一歩も引かなかった。  真理亜ほどではないが、美沙も歯に衣着せぬタイプの女性だった。 『あれ? あなた、豊ちゃんのこと好き? ていうか、もしかして、二人はつき合ってるの?』    真理亜がニヤニヤしながら豊と美沙の顔を交互に見比べた。 『そんなわけないじゃないか。美沙君はウチの編集長だよ』    豊は苦笑しながら言った。 『鼻っ柱が強いところと一言多いところが若い頃の私に似てるし、豊ちゃんの好みのタイプじゃない? 豊ちゃん、私みたいな強い女の子が好きだし』    真理亜が悪戯っぽい顔を豊に向けた。 『美沙君は、君みたいに強くないって』    豊は、ふたたび苦笑した。  美沙は真理亜が帰ったあとに、どこの誰なのか? どういう関係なのか? をしつこく訊ねてきた。  豊は、昔の知り合いとしか言わなかった。  真理亜との関係を話したところで美沙に理解してもらえるとは思わなかったし、理解してほしいとも思わなかった。  半世紀をかけて築かれた豊と真理亜の関係性は、一時間や二時間で説明できるものではないからだ。  車窓の景色がゆっくりと動き出した。  一時間ほどで東京駅に着き、そこからモノレールを乗り継いで羽田空港に向かう。  最終便に乗り、長崎空港に到着するのは夜の九時過ぎだ。  今夜はホテルに泊まり、早朝に教会のあるK市に向かうつもりだった。 『王子様にしてあげる』  不意に脳裏に、電話での真理亜の声が蘇った。 「今度は、どういう風の吹き回しだか……」  豊は苦笑した。  急に長崎に呼び出されたのは、初めてではなかった。  真理亜が故郷の長崎に戻ったのは二十年前……三十五歳のときに彼女がパリでの二度目の離婚をした直後だった。  牛丼食べたくなったけど一人じゃ入りづらいから、最近疲れ気味だからゆるキャラの豊ちゃんで癒やされたくなった、気分転換に宮崎旅行したいから一緒に行こう、ストーカーっぽい人がいるからボディガードになって……。  真理亜はいつも説明もなしに豊を呼び、長崎に到着してから自己中心的な理由を口にする。  もし美沙が知ったら、激怒することだろう。  美沙じゃなくても、普通の感覚を持つ者なら同じようなリアクションになるはずだ。  豊が型破りな人間というわけではない。  どちらかといえば、至極真っ当な人間だ。  ただ、豊がほかと違うのは、世界中の誰よりも真理亜という女性を知り、理解しているということだ。  究極に自己中心的で面の皮の厚い女性……それが傍から見た真理亜だ。  だが、豊にはわかっていた。  自己中心的に見えて気遣いに満ちた女性、面の皮が厚く見えて繊細な女性……それが豊の知っている真理亜だ。 「今回の理由はなんだろうな」  豊は口元を綻ばせた。  いつの間にか、緊急の長崎呼び出しが豊の楽しみになっていた。  豊の知るかぎり、真理亜に恋愛対象として見られたことはなかった。  だが、必要とされていることは伝わっていた。  それだけで、十分だった。  いや、正直に言えば十分ではなかった。  男として、見てほしかった。  胸奥で、いつもそう願っていた。  ライクではなく、ラブの気持ちを持ってほしかった。  しかし、それ以上に豊は、真理亜を見守り支えたかった。  ラブを求めて離れることになるなら、ライクのまま繋がっていたかった。 「でも、教会に呼ばれたのは初めてのパターンだな。今度は、どんなわがままを言うつもりだろう」   『土曜日の朝九時。五分しか待たないよ。もしこなかったら、もう二度と会わないから。じゃあね!』  ふたたび蘇る真理亜の一方的な言葉に、豊はクスリと笑った。  本当に、なにも変わらない。  あの頃と、なにも……。  豊は早送り動画のような車窓の景色をぼんやりとみつめながら、回想の旅に出た。 小説家、実業家、映画監督。1998年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無間地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『虹の橋からきた犬』『そのヘビ、ただのヒモかもよ!』『シン人間失格』など、著書多数。芸能プロダクションも経営し、その活動は多岐にわたる。