恋愛・結婚

内緒の秘密基地で、君がくれたご褒美 『五十年目の両想い』/新堂冬樹

【これまでのあらすじ】 長崎に向かう道中、次々と豊の脳裏によぎる初恋の残像。気が強い君は、いつだって僕のことを助けてくれたねーー小3のときもそうだった。甘酸っぱい記憶の欠片を拾い集めているうちに、徐々に真理亜との距離が縮まっていく。 【主な登場人物】 豊(ゆたか)
五十五歳。児童文学出版社「童夢ファクトリー」社長。穏やかで争いを好まない性格。五十年前に抱いた初恋を、いまも胸の奥にしまい続けている。 真理亜(まりあ)
豊の幼なじみ。明るく自由奔放で、いつも豊を振り回してきた”太陽のような少女”。豊にとって、決して忘れられない存在。 白川美沙(しらかわ・みさ)
「童夢ファクトリー」編集長。豊の元部下で、令和世代らしい感性を持つ仕事のパートナー。歯に衣着せぬ物言いで豊を翻弄するが、その姿はどこか真理亜を思い出させる。 五十年目の両想い

2-3 1979年春 長崎

 長崎市立「白石小学校」——昼休みの三年二組の教室で、ガキ大将の熊谷哲太が当時大ヒットしていた西城秀樹の「YOUNG MAN」を振りつきで歌っていた。  哲太の子分の鈴木守、山田ひろし、古川信一、根本たかしが手拍子で盛り上げていた。  哲太は体が大きく乱暴で、「ドラえもん」の「ジャイアン」が現実世界に飛び出してきたような少年だった。  豊も、ほかの四人と同じように仕方なく手拍子していた。  男子と女子の野次馬が十人ほど、昼休み恒例の歌謡ショーの観客になっていた。  三年生になって哲太と同じクラスになってから、豊の子分生活は始まった。  毎日、豊は昼休みが近づくと気が重くなった。  哲太のワンマンショーを聴くだけなら我慢できるが、子分も歌を披露しなければならない。  ほかの四人は、既に歌を披露していた。  因みに守は水谷豊の「カリフォルニア・コネクション」、たかしはゴダイゴの「ガンダーラ」、信一は沢田研二の「カサブランカ・ダンディ」、ひろしはアリスの「チャンピオン」を歌った。  暗黙の了解として、西城秀樹と郷ひろみの曲は哲太以外は歌ってはいけないことになっていた。  哲太の歌が、まもなく終わろうとしていた。  次は豊の順番だった。  豊はたかしが家から持ってきた敷布団のシーツを、衣装として羽織らされていた。    こないで……。  豊は心で祈った。  三年生の一学期が始まって一ヶ月になるが、幸いなことに五組の真理亜には歌謡ショーを見られたことはなかった。 「ヤングマン! ありがとう!」  哲太が歌い終わると、子分と野次馬の拍手喝采が湧き起こった。 「さあ、発表です! 一九七九年『日本レコード大賞』は……」  悪乗りした哲太が、口でドラムロールの真似をして子分と野次馬の注目を集めた。  できるなら、逃げ出したかった。  だが、明日も明後日も哲太とは顔を合わせなければならないのだ。 「ジュディ・ユタカの『魅せられて』に決まりました!」  哲太が煽ると、野次馬たちの好奇の視線が集まった。  敷布団のシーツを羽織った豊は、顔から火が出そうに恥ずかしかった。 「竹井くん、だからそんな格好してるんだ!」 「ジュディ・オング、そんな変な衣装じゃないわ!」 「私、お化けかと思っちゃった!」 「かわいいわよ! ジュディ・ユタカちゃん!」  野次馬の女子が笑いながら豊を指差した。 「おいっ、ジュディ・ユタカ、早く歌えよ!」  哲太が豊の手を掴み、教壇に引っ張った。  野次馬の視線が、顔を赤らめ固まる豊に一斉に集まった。 「早く歌えよ!」 「レコード大賞取ったんだから歌わなきゃだめなんだぞ!」 「歌え! 歌え! 歌え!」 「ジュディ! ジュディ! ジュディ! ジュディ!」  野次馬の男子が豊を囃し立ててきた。  豊が固まっているのは、恥ずかしいだけが理由ではなかった。  「魅せられて」は耳にタコができるほど聴いたが、歌詞は覚えていなかった。  なにより、頭サビの歌い始めが英語なので歌詞を覚えられなかった。 「おいっ、なにやってるんだ! 早く歌えって!」  哲太が教壇に上がり、豊の胸を押した。  豊は後方によろめき、シーツに足を取られて尻もちをついた。  野次馬の爆笑が教室に響き渡った。 「やめなさいよ!」  爆笑を女子の怒声が遮った。  野次馬をかき分け駆け寄ってきた真理亜が、鬼の形相で教壇に上がった。 「なんだ、お前! よその組だろ! 邪魔するな! いま、歌謡ショーの途中だぞ!」  哲太が乱入してきた真理亜に激しく詰め寄った。 「なにが歌謡ショーよ! こんなのイジメだよ!」  真理亜が臆することなく抗議した。 「お前に関係ないだろ!」  哲太が目尻を吊り上げた。 「豊ちゃんが嫌がってるんだから、関係あるわよ!」  真理亜の目尻も吊り上がった。 「お前ら、できてるのか!?」  哲太が言うと、野次馬が一斉に冷やかし始めた。  尻もちをついたままの豊の顔の赤味が増した。 「うるさいっ! 豊ちゃんは真理亜の一番の親友なの! なんか文句ある!?」  真理亜の迫力十分の啖呵に、野次馬が静まり返った。 「こんなの脱いで!」  真理亜が豊の羽織っているシーツを剥ぎ取った。 「お前っ、勝手なことすんなよ!」  哲太が真理亜を突き飛ばした。 「真理亜ちゃんに、なにするんだ!」  豊は無意識に哲太に掴みかかっていた。  反射的な行動に、驚きを隠せなかった。 「俺に勝てると思ってるのか!」  哲太が豊の背後から首を締め上げた。 「苦しい……離して……」  豊は体をくねらせ逃れようとしたが、哲太の腕の力が強くて逃げられなかった。  息が苦しく、顔が熱くなった。  頭がぼーっとしてきた。 「豊ちゃんを離しなさい!」  真理亜が険しい顔で言うと、グーパンチで哲太の頬を殴りつけた。  野次馬から悲鳴が上がった。  豊の呼吸が楽になった。  豊の後ろでうずくまった哲太が、頬を押さえて泣いていた。 「グーで殴るなんてひどい……」 「哲太君がかわいそうだよ」 「あの子、何組?」 「乱暴な女子ね」  野次馬が口々に真理亜に非難の言葉を浴びせた。 「ひどいのはあんたたちよ! 豊ちゃんが嫌がってるのに、止めないで面白がってさ! あんたたちも、殴ってやろうか!」  真理亜が拳を振り上げると、野次馬が悲鳴を上げながら逃げ出した。 「豊ちゃん、行くよ」  真理亜が豊の手を引き、教室を出た。 「どこに行くの?」 「いいからついてきて」  真理亜は体育館に入ると、館内の片隅にある倉庫室の扉に手をかけた。 「勝手に入ったらだめなんだよ」  無駄だとわかっていながら、豊は真理亜に注意した。 「新しい倉庫室ができたから、ここには誰もこないから」  予想通り、真理亜はあっけらかんと言いながら扉を引いた。  黴と埃の匂いが豊の鼻孔に忍び込んだ。 「ここに座っていいよ」  真理亜はロール状になった体操マットに座り、隣りをポンポンと叩いて豊を促した。 「いつも、ここにきてるの?」  豊は訊ねながら、真理亜の隣りに座った。 「二回目だよ。この前、暇だから探検してたときに見つけたんだ! 豊ちゃんとの秘密基地にしようと思って。今度から、昼休みはここに集合ね」 「え? ここに?」 「そう。教室にいたら、またガキ大将にイジメられるよ。それから、弱いんだからガキ大将と喧嘩しちゃだめだよ」  真理亜が母親が子供を諭すような口調で言った。 「真理亜ちゃんを突き飛ばすから!」  豊は憤然として言った。  思い出しただけでも、体中の血が熱く滾った。  真理亜を傷つける者がいれば、どんな大男であっても立ち向かうつもりだった。 「ありがとう。でも、豊ちゃんは弱いから喧嘩はだめ。豊ちゃんのことは、真理亜が守ってあげるから!」  真理亜が袖捲りをして力こぶを作ってみせた。 「あ、ありがとう……」  嬉しい思いと複雑な思いが、豊の胸の内に交錯した。  真理亜が自分を心配してくれていることは嬉しかった。  だが、頼りないと思われているのは哀しかった。 「キン肉マン」のように逞しく強い男子になり、真理亜を守りたかった。 「喧嘩はだめだけど、嫌なことは嫌だってはっきり言わなきゃ」  真理亜が説教口調で言った。 「でも、嫌だって言ったら哲太君が怒っちゃうから……」 「それでも、嫌なことは嫌だって言わなきゃだめ!」  真理亜がきっぱりと言った。 「喧嘩になっちゃうよ。真理亜ちゃん、喧嘩はだめって……」 「喧嘩はだめっ。先生に言えばいいでしょ? 哲太君達にイジメられてるって」 「先生に言いつけるなんて、かっこ悪いよ」 「嫌だって言えなくて嫌なことやってるほうがかっこ悪いよ。喧嘩するのは、もっとかっこ悪い!」  真理亜の言葉は厳しく聞こえるが、その中に彼女の強い意志と優しさを感じた。 「豊ちゃんは、真理亜の言う通りにしていればいいの! わかった?」  真理亜が腕組みをして、豊を見据えた。 「うん」  豊は素直に頷いた。  不意に、真理亜が頬にキスをしてきた。  豊は弾かれたたように横を向き、呆然とした顔で真理亜をみつめた。 「助けてくれたご褒美だよ!」  真理亜が屈託のない笑顔で言った。  豊の心臓は飛び出しそうなほどにドキドキと鳴った。  熱い風呂に長時間入ったように頭がボーッとした。 「なによ? その顔? 真理亜のチューが嫌だったの?」  真理亜が頬を膨らませ、豊を睨みつけてきた。 「ううん! 嫌じゃないよ!」  豊は慌てて言った。 「じゃあ、嬉しかった?」  真理亜は豊を睨みつけたまま訊ねてきた。 「……うん」   豊は恥ずかしくて、蚊の鳴くような声で答えた。   「え? 聞こえない。もっと大きな声で言って!」  真理亜が顔を近づけてきたので、豊は自分の心臓の音が聞こえないかが気になった。 「嬉しかった」  さっきより大きな声で豊は答えた。 「もっと大きな声で!」 「嬉しかった!」  豊はやけくそ気味に叫ぶように言った。 「よろしい」  真理亜は、にっこりと笑うと立ち上がった。 「もう行っちゃうの?」  豊は真理亜を見上げた。  もう少し、真理亜と一緒にいたかった。 「昼休み終わりだから。明日から、昼休みはここだよ! 約束破ったら絶交だからね!」    真理亜の声に、高崎駅到着を告げるアナウンスが重なった。  母親らしき女性と息子と思しき中学生くらいの男の子が乗り込んできた。  男の子はよく日焼けしており、ブルーのジャージ姿に大きなリュックを背負っていた。 「忘れ物ない?」  女性が訊ねた。 「ないよ」  男の子が不愛想に答えた。 「本当? この前の合宿のときも学生証を忘れたでしょ? 持ってきた?」 「持ってきたよ、うるさいな」   面倒くさそうに言う男の子を見て、豊は口元を綻ばせた。  あの年頃は多感で、家族と外出するのが億劫でたまらない時期だ。  豊もそうだった。  家族はもちろん、五歳のときからどこへ行くにも一緒だった真理亜と歩くのも過剰に周囲の眼を気にするようになった。  豊は母子から動画の早送りのように移り行く車窓の景色に視線を移し、ふたたび回想の旅に出た。
小説家、実業家、映画監督。1998年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無間地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『虹の橋からきた犬』『そのヘビ、ただのヒモかもよ!』『シン人間失格』など、著書多数。芸能プロダクションも経営し、その活動は多岐にわたる。
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