更新日:2026年08月31日 18:49
恋愛・結婚

マッチも、フミヤも。じゃあ、僕は? 『五十年目の両想い』/新堂冬樹

【これまでのあらすじ】 甘い缶コーヒーを手に、車窓の景色に目をやる豊。真理亜と過ごした時間には、決して抜けない栞が刺さっている。近くて遠く、遠くて近い。そんな一筋縄ではいかない二人の関係性についに変化が……? 【主な登場人物】 豊(ゆたか)
五十五歳。児童文学出版社「童夢ファクトリー」社長。穏やかで争いを好まない性格。五十年前に抱いた初恋を、いまも胸の奥にしまい続けている。 真理亜(まりあ)
豊の幼なじみ。明るく自由奔放で、いつも豊を振り回してきた”太陽のような少女”。豊にとって、決して忘れられない存在。 白川美沙(しらかわ・みさ)
「童夢ファクトリー」編集長。豊の元部下で、令和世代らしい感性を持つ仕事のパートナー。歯に衣着せぬ物言いで豊を翻弄するが、その姿はどこか真理亜を思い出させる。 【前回】⇒「誰も知らない、ふたりの絆」 五十年目の両想い           

2-2 1985年 夏 長崎

「かっこいい!」  土曜日の午前中。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の上映時間まで時間を潰すためにアーケードを歩いていたら、真理亜が急に駆け出した。 「あ、どこに行くの……」  豊は真理亜のあとを追った。 「ねえねえ、フミヤ、かっこいいと思わない!?」 「グリコ」のチョコレートの広告——「チェッカーズ」の等身大パネルの藤井郁弥を指差しながら、真理亜が声を弾ませた。 「あれ? 真理亜ちゃん、マッチのファンだって言ってなかった?」 「マッチのファンだよ! でも、フミヤも好き!」  真理亜が屈託のない笑顔で言った。 「二人も好きなの!?」  豊は素頓狂な声で訊ねた。 「だめ?」  真理亜が、きょとんとした顔で豊に訊ね返してきた。 「だめじゃないけど、みんな、一人の人を好きにならない?」  豊は、真理亜を責めているふうにならないように気をつけた。 「そうかなぁ? マッチは男らしくて好きだし、フミヤはかわいくて好きだし。かっこいいのタイプが違うから」  真理亜がパネルのフミヤをみつめながら言った。 「僕は違うな」  豊は無意識に呟いた。 「そう言えば、聞いたことないけど豊ちゃんのファンって誰? 聖子ちゃん? 明菜ちゃん? キョンキョン? 奈保子ちゃん? 伊代ちゃん? もしかして、まさかの芳恵ちゃん?」  真理亜が矢継ぎ早に八十年代アイドルの名前を並べ立てた。 「いないよ」  豊は小さな声で言った。 「え!? じゃあ、誰? 秀美ちゃんとか?」  真理亜が質問を重ねた。 「ファンとかいない」  真理亜ちゃんだけだから……。  豊は言葉の続きを心で紡いだ。   「えーっ、珍しい。ほかの男子は、みんなファンがいるよ。ウチのクラスの男子は、聖子ちゃん派と明菜ちゃん派と今日子ちゃん派にわかれてるよ」  真理亜が言いながら歩き出した。 「ふ~ん、僕は興味ないな。真理亜ちゃんはさ……やっぱり、いいや」  豊は喉元まで込み上げた言葉を呑み込んだ。 「なによ? 途中まで言いかけたんだから、最後まで言いなさいよ」  真理亜が厳しい表情で詰め寄ってきた。 「……マッチかフミヤか、どっちか一人じゃだめなの?」  豊は遠慮がちに訊ねた。 「え? なんで、どっちか選ばなきゃだめなの?」  真理亜が不思議そうな顔で訊ねてきた。  豊に驚きはなく、むしろ、真理亜らしいと思った。 「だってさ……普通は、好きな人は一人だけでしょ?」  豊は勇気を振り絞って言った。 「そんなの決められないよ! かっこいいと思う人が、世界中に一人しかいないなんて決まってないでしょ?」  真理亜の答えは、豊の予想通りのものだった。  胸に小さな痛みが走った。  小学校の頃から、真理亜は少しも変わっていない。  変わったのは豊のほうだった。  小学生のときまでの豊は、真理亜の奔放さが気にならなかった。  だが、中学生になってからは、奔放な真理亜を見るたびに胸が小さく痛むようになった。  変わらないのは、どんな真理亜でも好きだという気持ちだった。 「僕は好きな人がいたら……ほかの女の子を好きになったりしないよ」  真理亜を非難するために言ったのではなく、自分の思いを伝えるのが目的だった。  彼女の言動に胸を痛めることはあったが、彼女を嫌いになった瞬間は一秒もなかった。 「豊ちゃんは真理亜のファンなんでしょ?」 「えっ……」  真理亜の予想外の言葉に、豊は朱に染まった顔で俯いた。  同時に、ファン、という響きに抵抗を覚えた。  真理亜が自分にたいしての豊の気持ちをそういうふうに捉えていることを知り、複雑な気持ちになった。  同時に、妙に納得もできた。  真理亜の豊にたいする振舞いは、好きだと思いを寄せている男子にたいしてではなく、憧れてくれている男子にたいしてのものだと考えれば説明がつく。 「違うの?」  真理亜が豊の顔を覗き込んできた。  複雑な気持ちを言葉でうまく説明できそうにもなく、豊は首を横に振った。 「でしょ? 豊ちゃんはこんなにかわいい真理亜のファンなんだから、ほかの女の子のファンにならないのは当然よ」  真理亜が自信満々に言い切った。  不思議と、彼女が言えば嫌な感じはしなかった。  真理亜を好きだからではなく、彼女の裏表のない人柄がそう思わせた。 「足が疲れちゃった。あそこで休もう!」  真理亜が豊の手を引き、休憩用のベンチに向かった。  豊は反射的に視線を巡らせ、通行人の様子を窺った。  真理亜が豊の手を引くのは、いまに始まったことではない。  小学生の頃までは、手を繋がれることにたいして嬉しさしか感じなかった。  だが、中学生に入ったあたりから、嬉しさに恥ずかしさが入り交じるようになった。  豊は立ち止まり、真理亜の手を離した。 「ん? どうしたの?」  真理亜が怪訝な顔で振り返った。 「もう僕たち中学生だから……恥ずかしいよ」  豊は小さな声で言った。 「なんで? 真理亜と手を繋ぐの嫌なの?」  真理亜が訊ねてきた。 「ううん」  豊は慌てて否定した。 「ほら、行こう」  真理亜はふたたび豊の手を取り歩き出した。  母親に連れられた小さな男の子に不思議そうな顔で見られているのが恥ずかしかったが、もう手を離すことはしなかった。 「飲み物買おうよ」  真理亜が自動販売機で缶の麦茶を買うと、ベンチに座った。  豊は大好きな缶のミルクコーヒーを買い、真理亜の隣りに座った。 「またそんな甘いの飲んでるの? のろまなかめがのろまなブタになっちゃうよ」  真理亜が呆れたように言いながら、豊の手から缶ミルクコーヒーを奪った。 「あっ……返してよ」  豊を無視して真理亜は立ち上がると、自動販売機に向かった。 「ほら」  戻ってきた真理亜が、缶のブラックコーヒーを差し出してきた。 「え~……僕、苦くてブラック飲めないよ」 「ブタさんになるより苦いほうがいいでしょ」  真理亜が言いながら、取り上げた缶ミルクコーヒーを「ハンギょドン」がプリントされたトートバッグに放り込んだ。  一度言い始めたらきかない真理亜の性格を誰よりも知っている豊は、渋々と缶ブラックコーヒーのプルタブを開けて恐る恐る流し込んだ。 「うぇ~」  舌に広がる苦味に、豊は顔を顰めた。 「もう、豊ちゃんは大袈裟ね。貸して!」  真理亜が豊から缶ブラックコーヒーを奪い、喉を鳴らして飲んだ。  間接キス……。  豊の胸が高鳴った。 「うぇ~! まずい! いらない!」  真理亜も顔を顰め、缶ブラックコーヒーを豊に返した。  豊は真理亜の唇が触れた飲み口に唇を近づけた。  鼓動のピッチがどんどん速くなった。  十センチ……五センチ……。  目の前から缶が消えた。 「え?」 「まずいんだから、飲まなくていいよ」  缶を取り上げた真理亜が言った。 「でも、もったいないから……」 「無理しなくていいって」  真理亜が缶を傾け排水溝に残りのコーヒーを流した。 「あっ……」 「まだ飲んでないから、私のあげる」  真理亜が自分の缶の麦茶を差し出してきた。 「泉!」  豊は弾かれたように顔を上げた。 小説家、実業家、映画監督。1998年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無間地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『虹の橋からきた犬』『そのヘビ、ただのヒモかもよ!』『シン人間失格』など、著書多数。芸能プロダクションも経営し、その活動は多岐にわたる。