恋愛・結婚

野球の試合は今日だけ、だけど… 『五十年目の両想い』/新堂冬樹

【これまでのあらすじ】 かつて真理亜は「王子様の条件」の一つに「野球がうまいこと」を挙げていた。これは「野球がうまくない」豊にとって、いかんともしがたい壁であった。本人はとうに忘れているかもしれないが、一緒に映画を観に行こうとしたあの日にも、ほろ苦い記憶がある。 【主な登場人物】 豊(ゆたか)
五十五歳。児童文学出版社「童夢ファクトリー」社長。穏やかで争いを好まない性格。五十年前に抱いた初恋を、いまも胸の奥にしまい続けている。 真理亜(まりあ)
豊の幼なじみ。明るく自由奔放で、いつも豊を振り回してきた”太陽のような少女”。豊にとって、決して忘れられない存在。 白川美沙(しらかわ・みさ)
「童夢ファクトリー」編集長。豊の元部下で、令和世代らしい感性を持つ仕事のパートナー。歯に衣着せぬ物言いで豊を翻弄するが、その姿はどこか真理亜を思い出させる。 五十年目の両想い  

2-4 うわさの男

 背の高い切れ長の眼をした涼しい顔立ちの少年が声をかけてきた。  見覚えのある少年だったが、どこで会ったのか思い出せなかった。 「三井君!」  声を弾ませる真理亜に、豊の胸はチクリと痛んだ。  三井の名前を聞いて、豊は思い出した。  吉川晃司にそっくりな二年生が東京から転校してきたと、クラスの女子が騒いでいると聞いたことがあった。  三井は野球部で、練習中の彼に向けて女子たちが校庭のネット越しに黄色い歓声を上げているのを何度も見かけたことがあった。 「こんなところで、なにしてるんだよ」  三井が豊にちらりと視線を向けながら、真理亜に訊ねた。  彼の真理亜にたいする親しげな口調が気になった。 「これから『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観に行くの。あ、同じクラスの三井君だよ」  真理亜が豊に三井を紹介した。  三井がぶっきら棒に小さく頭を下げた。  女子たちの憧れの的の三井が、真理亜と同じクラスということがショックだった。 「彼は豊ちゃん」  今度は豊を三井に紹介した。 「おはよう」  間抜けな挨拶に、豊は早くも後悔した。 「泉の彼氏?」  三井の言葉に、豊の心臓の鼓動は早鐘を打ち始めた。  そして、いきなり真理亜にそんなことを訊ける関係性が気になった。 「違うよ! 豊ちゃんは幼馴染み」  すかさず否定する真理亜に、豊の胸はふたたび痛んだ。  さっきよりも強く、鋭い痛みだった。  三井に自分のことを彼氏だと思われると困る関係なのだろうか?  「そうなんだ」  三井が顔を綻ばせた。  覗いた白い歯が眩しかった。  あの笑顔は、安心した笑顔だ。  三井は真理亜が好きなのか?  真理亜も三井を……。  豊は思考を止めた。 「三井君は、どこに行くの?」  真理亜の興味津々の瞳が、豊の胸の傷に爪を立てた。 「俺はこれから四中との練習試合があるから」 「あ! 野球の試合、今日だったの!?」  真理亜が大声を張り上げた。 「ああ。俺、先発で投げるんだ」  三井が得意げに言った。 「嘘! 三年生がいるのに二年の三井君が先発!?」  真理亜の瞳の輝きが増すのと比例するように、豊の胸の痛みも増した。 「泉も一緒にくる?」  三井が、さらりと真理亜を誘った。 「えっ……でも……」  真理亜が、豊を振り返った。 「僕は大丈夫だよ。また、今度でも」  豊は懸命に作った笑顔を真理亜に向けた。  心のどこかで、真理亜が三井の誘いを断ってくれることを期待している自分がいた。 「いいの!?」  真理亜の輝く瞳が、豊の期待を呆気なく打ち砕いた。 「うん。映画は明日もやってるし」  豊は笑顔を崩さずに頷いた。  自分の声が、他人のもののようにどこか遠くから聞こえた。 「ありがとう! ごめんね! 夕方、家に電話するから!」  真理亜は豊に言い残し立ち上がると、三井と楽しげに会話しながら歩き出した。  あ、この前貸してくれた「チェッカーズ」のレコード、今度返すから。  三井の声が聞こえた。  豊は遠ざかる二人の背中を呆然と見送った。  どのくらいの時間、そうしていたのだろう。  いつの間にか、二人の姿は視界から消えていた。  豊は足元に転がる缶ミルクコーヒーに気づいた。  真理亜のトートバッグから落ちたに違いない。  豊は缶ミルクコーヒーを拾い上げ、ぼんやりとみつめた。             思い出の中のミルクコーヒーの缶に、現実のミルクコーヒーの缶が重なった。  あと十分ほどで、東京駅に到着する。  豊は中学生の真理亜に苦笑し、缶コーヒーに口をつけた。  砂糖とミルクがたっぷりのはずなのに、口内にはほろ苦さが広がった。 小説家、実業家、映画監督。1998年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無間地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『虹の橋からきた犬』『そのヘビ、ただのヒモかもよ!』『シン人間失格』など、著書多数。芸能プロダクションも経営し、その活動は多岐にわたる。