【五輪秘話】男子サッカー「マイアミの奇跡」後に回った1枚のメモ
NANO編集部>
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サッカー日本代表が久々にオリンピック本大会に出場した、1996年のアトランタ大会。神様が与えた試練か、初戦の相手は当時の世界最強とウワサされていた、ブラジル代表だった。
ブラジル代表は、1994年のワールドカップ・アメリカ大会で優勝を遂げ、アトランタ五輪の予選免除を受けており、当時A代表のマリオ・ザガロ監督自らが指揮を取り、本大会に臨んで来た。
ガチモードの王者相手に、日本代表は伊東輝悦の後半27分の決勝ゴールをチーム全員で死守し、1‐0の大金星を挙げた。放ったシュート数はブラジルの28本に対して日本はわずか4本。この大番狂わせは周知の事実であるが、五輪開催地のアトランタ周辺にはサッカー場が少なく、この奇跡はアトランタから遠く離れたマイアミの地で起きた。
1996年当時はインターネット夜明け前――。
今よりひと回り大きな携帯電話がようやく一般的に普及してきた時代で、マイアミの奇跡は、現地フロリダからアトランタにあるプレスセンターに速報され、様々な競技場でゲームに挑んでいた日本代表の選手スタッフに、文字通り口コミで伝えられた。
日本代表野球チームには、デーゲームの真っ最中、【速報】という1枚のメモが回って来た。
誰が書かれたものなのか今となっては知る由もないが、日本の記者が、マイアミの奇跡の興奮を野球チームに伝えずにはいられない、ということは、わずか2行の走り書きされた行間から十分に伝わって来た。
「サッカーに負けてたまるか、オレたちも!」と意気込んだアトランタでの野球日本代表は、オールアマチュアのメンバー構成で、劣勢だった予選リーグを勝ち上がった。準決勝では野球の母国アメリカで5万人の大観衆を敵に回しながら勝利を挙げ、キューバとの決勝戦では打ち合いの末に敗れはしたものの銀メダルを獲得した。その後、プロの参加が認められた’00年シドニー、’04年アテネ、’08年北京の3大会でアトランタの銀メダルを越えられる結果が出なかったのは、何とも皮肉な結果であるが……。
昨日のサッカー日本代表の大金星は、今日の開会式、そして明日から本格的に競技のはじまるロンドン五輪のあらゆる日本選手・スタッフに、大きな力やモチベーションを与えたことだろう。
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