新着
ニュース
エンタメ
ライフ
仕事
恋愛・結婚
お金
カーライフ
スポーツ
デジタル

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。

番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(4)

 元々は高樹町に広大なお屋敷があったというが、わたしと知り合ったころの潤ちゃんは、麻布十番の長屋住まいだった。

 訪ねると、潤ちゃんの父親がよく上り口に腰掛け、ちびた赤鉛筆を耳に挟んで競輪新聞を見入っていた。

 潤ちゃんは、わたしより2歳ほど年長である。

 背丈はわたしと同じくらいだったから、180センチ前後といったところだろう。(わたしは中2で180センチになった)

 柔道をやっていたせいで、潤ちゃんは筋肉質だ。

 ところが潤ちゃんが喧嘩で、柔道技などを繰り出すのを見たことがなかった。

 揉め事が起こりそうになると、いつも、

 ――待てよ、待ってろ。

 と仲間を制し、頭を下げながら相手に近づく。

 こっちは中高生のガキである。相手は不良じゃないかもしれないが怪しげな大人たちだ。

 潤ちゃんはすぐに、ゴメンナサイ、と謝ってしまった。

 ところがゴメンナサイをしながら至近距離まで近づくと、潤ちゃんは飛び出しナイフで、いきなりぶすりと相手を刺した。

 必ず、「不意打ち」だった。

 最初にそれを見たときは、潤ちゃんに、

 ――逃げろ、

 と言われても、腰を抜かしてしまい、動けなかったものだ。

 3回、4回と同じような場面を見てしまうと、そんなものなのか、と慣れてしまう。

 わたしにも観察するだけの余裕がでてくると、潤ちゃんの攻撃における緻密さもわかった。

 狙うのは下腹部だけである。

「うしろからなら、尻を刺して、そこから切り下げるのがいいんだけれど、向き合って太ももなんて狙うと、動脈切っちゃって、死んじゃう場合もあるでしょ。ちゃんと気を遣ってる」

 と潤ちゃんが説明してくれたことがあった。

 へんな言い方かもしれないが、しっかりと考えて、潤ちゃんはヒトの下腹部を刺していたのだ。

 当時は、そして多分いまでも、不良同士の喧嘩なら、重体になるとか死亡でもしなければ、警察に通報されない。不良間の不文律である。

 しかし相手は「怪しげな人」たちかもしれないが、一応カタギの社会人だった。

 潤ちゃんに刺された誰かが、警察に通報したらしい。

 潤ちゃんはある夜、外苑東通りに面した『ハンバーガー・イン』にいたところを、三人の刑事に逮捕されてしまった。

 麻布警察署に留置され、そのままネリカンに送られている。

 ネリカンとは、練馬区にある東京少年鑑別所を意味する。『練鑑ブルース』という歌を聞いたことがある人も多かろう。

「観護措置」4週間の鑑別所送りとなっても、二回目からはアウトになる率は高いけれど、通常初回は家に戻される。

 ところが潤ちゃんは、複数の傷害容疑であり、常習かつ反省の意なし(いわゆる「犯罪傾向が進んだ」)とされて、一発で少年院送致となってしまった。

 初回から、関東の不良少年たちが恐れる久里浜少年院行きだった。(つづく)

※次回の更新は7/9(木)予定でしたが、諸事情によりしばらく更新はお休みいたします。

番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(3)

 中学生のわたしは、芋洗坂に住んで不良をやりながらも、暗くなると六本木通りを防衛庁側に渡ることは、めったになかった。怖かったからである(笑)。

 あの一帯の規制が緩かったのか、それとも単に法規を無視していただけなのか不明なれど、おもて通りを二本か三本入った閑静なお屋敷街に、なぜか赤や青のネオンが灯(とも)るクラブやレストランが点在した。

 そういった店から、若い女性の嬌声が響く。

 路上で酔っ払い同士が殴り合っていた。

 陸上自衛隊の士官服を着た男が、立小便している。

 1メートル65センチくらいしかない地元のやくざが、2メートルはある米兵の大男に、氷を切るのこぎりで斬り掛かっていくのを見たこともあった。

「氷を切るのこぎり」なんてものには、読者への説明が必要かもしれない。

 当時は巨大な氷塊をリアカーに載せ、これを専用のこぎりで切って飲食店に配達していた。そして氷の仕切りは、ほとんどの場合、地元やくざのシノギである。

 だから1メートル65センチくらいしかない地元のやくざが、たまたま手元にあった「氷を切るのこぎり」を武器として、大男の米兵に向かっていったのだ。

 このときは、地元のやくざの一撃が、見事に米兵の頸部に決まった。

 おそらく頸動脈が切れたのだろうが、米兵の首から噴水のように血が噴き上げた。

 2メートルの大男の首から、さらに50センチか60センチほど血が噴き昇ったものだ。

 この世のものとは思えぬ恐ろしき光景である。

 そういう光景、あるいは似たようなものを、表通りを二本か三本入っただけの閑静な住宅街で月に二度三度と見せられると、中学生だったわたしはブルってしまい、六本木通りを防衛庁側に夜間渡るのを自粛した。

 おまけに防衛庁側には、『六本木族』などと呼ばれて嬉しがっている連中も多くたむろしていた。

 彼らと出くわすと、地元の不良中高生たちは「駆逐」か「制圧」されてしまう。

 基本的に、地元の不良少年たちは暴力沙汰を避けていた。可能な限り、軟派道を歩んでいた、と思う。

 喧嘩なんて、現在の言葉で言えば「ダサい」と感じていたからだった。

 喧嘩(ゴロ)のことを、

 ――キンシチョー、

 と呼んでいた一時期もあった。

 ――錦糸町あたりの不良たちがやること、

 といった意味である。

 どういうわけか当時の港区の不良中高生たちは、根拠もなく総武線沿線の不良たちを貶(おとし)めていたようだ。別件だが、「コイワ」「シンコイワ」などという呼び方もあった。

 ただし地元の不良にも、血を見るのが好きだった奴もまれにいた。

 わたしが中学2年生から3年生にかけて、たまに行動を共にした歳上の少年である。

 名を潤太郎とする。名家の出だ。姓は、畏(おそ)れ多くて、書けない(笑)。

 社会がそれを求めているからかもしれないが、名門・高家の末裔(まつえい)とはいつの時代にも、それなりの生活基準を保てるよう保障されている場合が多かろう。

 潤太郎の父親は、敗戦後すぐに、昔からの財産と伝手(つて)を頼って、事業に乗り出した。

 戦後の混乱期から朝鮮戦争にかけて、潤太郎の父親は瞬(またた)く間に事業を成功させた。そしてそれをまた、あっという間に著名な政治家絡みでだまし取られたそうだ。

 潤太郎一家は、膨大な借金を抱えた。(つづく)

⇒続きはこちら 番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(4)

番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(2)

 当時『デミタス』から六本木通りを西麻布方面に向かうと、『ジャーマン・ベーカリー』までは、舗装もされていない草ぼうぼうの野外駐車場となっていた。

 ついでだが、この『ジャーマン・ベーカリー』のパンは逸品だった。客層はほとんどがヨーロッパ系の人たちで、早朝から行列ができていた。そこに並ぶ金髪の少女を眺めるためだけに、早起きしたこともある。

 六本木・麻布・飯倉の一帯には主要国の在日本大使館がたくさんあることもあって、ヨーロッパ系の住民たちが多かった。

 そのころ中学2年生のわたしは、3学年上のおねーちゃんと『ジャーマン・ベーカリー』隣りの野外駐車場で遊んでいた。

 見上げた夜空に星が輝いていた。

 満天の星だったのは、鮮明に覚えている。

 六本木だってミルキー・ウエイ(天の川)が観察できたのだ。

 互いの肉体を道具としていろいろ遊んでいるうちに、間違っておねーちゃんに入れちゃった。そしてその間違いを是正する間もなく、すぐに出しちゃった。

 それが生身の異性との、わたしの性的な初体験である(笑)。

 人にはさまざまな性的体験があるとは思うが、六本木交差点から25メートル圏内の屋外(車の中は屋外と呼ばない)で、「ナマで入れた出した」という快挙を成し遂げたのは、おそらくわたしくらいではなかろうか(笑)。

 ついでだが、この遊び仲間だったおねーちゃんは、のちに経済界で著名な人の次男に嫁(とつ)いでいる。

 わたしは六本木五差路を麻布十番に下りる芋洗坂(いもあらいざか)にある、敷地だけはやたらとでかいがぼろぼろのあばら家に一人で住んでいた。

 なぜ13歳14歳のガキが、六本木の大きなあばら家で一人で住みだしたのか?                  

 事情があり、というかその事情をつくってしまい、親の転勤先から一人で東京に逃げ戻ってきたのである。まあ、不良少年とは事情だらけだ。

 六本木や麻布・飯倉といえば、江戸時代には大名の上屋敷(たとえば長門府中藩毛利家の上屋敷。その跡地が『六本木ヒルズ』となった)や中屋敷(たとえば米沢藩上杉家)が散在した。

 明治期になると大名屋敷が、三井・三菱・住友の財閥関係、そして久邇宮家などの皇族、三條家をはじめとする公家・華族たちに払い下げられた。

 麻布小学校およびその周辺一帯は、紀州徳川家邸の跡地である。

 その昔、六本木から芋洗坂や鳥居坂(とりいざか)周辺はお屋敷街で、そこを下ると麻布十番の町人街と棲み分けられていた。

 麻布狸穴(あざぶまみあな)などという地名があるように、わたしが住んでいた頃は、ここいらへんにはタヌキが頻繁に出没する閑静な住宅地だった。

 近くに米軍基地(現在でも「赤坂プレスセンター」として、その一部は残っている)や防衛庁檜町本庁舎(跡地が『東京ミッドタウン』となった)などがあり、キャデラック・デビルやシボレー・インパラなどの大型外車が、路上駐車していた。当時ああいう車種に乗っていたのは、まず間違いなく「怪しげな人」たちだったのである。

『野獣会』を筆頭として、『六本木族』などと呼ばれる連中が現れたのも、この頃だ。

 皆さん、深夜に集合し、明るくなりだすと、散っていった。

 つまり、地域外から来た人たちである。

 一方わたしは地元でツルんで、不良少年をやっていた。

 地元で環境適応が抜群のはずなのに、不良少年たちは『六本木族』に駆逐され、絶滅危惧種指定された。(つづく)

⇒続きはこちら 番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(3)

番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(1)

 また「都関良平の物語」に戻ってくるかもしれませんが、前回の号で一応『第6章 振り向けばジャンケット』を「了」とします。  COVID19による壊滅的な影響で、カジノ業界そのものの当面の存続が危ぶまれています。  カジノ […]

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(16)

 こうである。  ――子曰  飽食終日、無所用心、難矣哉、不有博奕者乎、爲之猶賢乎已。  毎日腹いっぱいメシを喰っているだけで、なにごとにも心を動かせない。困ったことである。博奕(ばくち)でもしていればいいものを。  良 […]

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(15)

 ジャンケットとは、好むと好まざるとにかかわらず、泥水を飲む稼業である。  誘惑だらけの世界でもあった。  その気さえあれば、いくらでも悪くなれる。  でも、通さなければならないスジ、というものは存在した。  いや、良平 […]

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(14)

「不思議なもので、そういうときに限って、負けるんだ。あるいは、ローリングが少ない打ち手たちばかり集まって、経費で足が出たりする」  なぜ、と訊かれても困るのだが、良平の経験ではそうだった。 「持ち込むときは現金でも、勝っ […]

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(13)

 いや、ジャンケット関係だけではなくて、この時期カジノ事業者本体の職員たちも大半はレイオフされている。  そしてこのレイオフは、一時的なものではなく、のちに恒久的なそれになることが予想された。 「ジャッキーくんの『天馬會 […]

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(12)

 2020年4月、新型コロナ・ウイルスの影響で、世界的にカジノ業界は窮地に追い詰められていた。とりわけマカオのカジノは、悲惨な状態である。  メガ・ハウスといえども、というか事業規模が大きければ大きいほど、毎日まいにちマ […]

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(11)

 だらだらと博奕(ばくち)を打てば、構造上ゲームに組み込まれた「控除」という罠に、打ち手は必ず絡めとられてしまう。  だから、迅速に集中的に攻撃を仕掛ける。  良平の言葉では、「一撃離脱」。  博奕において、戦力の逐次投 […]