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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。

番外編その5:知られざるジャンケット(6)

 しかしそういう「起源・出自」を持つジャンケットという業種の過去により、スタンレー・ホーはFBIの「マネロン・リスト」に載ってしまい、アメリカ合衆国に入国することができなかった。

 アメリカでのビジネスの交渉は、すべてスタンレー・ホーの息子(ローレンス)か娘(パンジー)がやっていた。

 壮年の頃のスタンレー・ホーは、よく日本に来た。

 日本でどういう人たちとどういう内容の打ち合わせをしていたかについては、それなりの想像ができても、定かでない。

 ただ、いわゆる「マカオ戦争(=ポルトガル政府によるマカオ主権の中国返還時と前後して、マカオ半島で勃発した地下社会の大抗争)」以前の『リスボア(澳門葡京酒店)』には、日本の広域指定暴力団につながったジャンケット業者が入っていたのは事実である。

 前述した「中曽根総理の裏の金庫番」・Tじいさんなどは、リスボアのジャンケット・ルームで、Y組のSをずいぶんと可愛がっていたものだ。

 またY組か、と考えてしまうのは早とちりというもの。

 マカオ政庁が与える正規のジャンケット・ライセンスをもっていない、いわゆる「サブ・ジャンケット」(サブ・ライセンスとは別物)並びに更にその下位に位置する「サブ・サブ・ジャンケット」、あるいは大手ジャンケット事業者の系列に属さない個人営業の者まで含めれば、当時(あくまで「当時」である)日本の広域指定暴力団のほとんどが、程度の差こそあれジャンケット業界と関係をもっていた、と思う。

 なぜか?

 前の方で、「大手ジャンケット事業者とカジノ事業者の契約は、原則として『勝ち負け折半』」と説明した。すなわちジャンケット・ルームでの「売り上げ」は、大手ジャンケット事業者とカジノ事業者が山分けする。

 もっと正確に書けば、カジノ事業者55%、大手ならジャンケット事業者45%の取り分となるのだが、実際上は力関係で、この数字は変化する。

 それゆえ、負け込み「眼に血が入って」しまった打ち手に、ジャンケット事業者たちがどんどんと駒を廻したのである。いわゆる「廻銭」だ。

 これは(1)ジャンケット事業者の自己資本でやる場合もあれば、(2)系列企業の金融部を通してやる場合もあれば、(3)はたまたカジノ事業者が打ち手に与える与信における保証人としてやる場合もあった。

 3600万円のクレジットでバカラの札を引いていた客が、ハウスを出るときには(たとえばハマコーの例では)5億円の借金を背負っている。なぜか? 以上の仕組みがあったからである。

 日本のジャンケット業者と地下組織のかかわりは、(もともと暴力団直営のジャンケット業者でなければ)ほとんどはこの「廻銭」回収の部分で生じた。

 「足切り(=借金返済のこと)」における「切り取り」「追い込み」を、ジャンケット業者はそれ専門の業者に委託する。

「だいたい借金って返したくない人が多いでしょ。おまけに博奕(ばくち)でつくった借金となると、シカトを決め込む奴らばっかだ。『駄目だよ。子供の大学入学資金として借りたものだって、博奕の負けで借りたものだって、借金は借金だよ。ちゃんと返済しなさいね』と、自分らが道理を諭す(笑)」

 と、ずいぶん昔に、OZ(=オーストラリアのこと)のカジノでよく見掛けた、広域指定暴力団ではなかったが、関東では武闘派として鳴らした一本独鈷(いっぽんどっこ)の組織のプラチナが、わたしに教えてくれた。(つづく)

※次回の更新は7/19(木)です

番外編その5:知られざるジャンケット(5)

 当時のアジア諸国のほとんどは、独裁政権ないし軍事独裁政権と、それに結びついた軍産複合体によって牛耳られていた。ただし自国資本育成の原則があるので、海外にカネを持ち出すことは難しい。

 一方、大陸中国では、汚職官僚や党関係者およびそれらとつるんで商売をする産業人たちが、大枚の人民元を握っている。

 しかし、共産党独裁政権下できわめて厳しい為替管理が敷かれていたこともあり、彼ら彼女らには、同じくそのカネを海外に持ち出すことはほぼ不可能だった。

 そこで、ジャンケットの登場だ。

 アジア諸国および大陸の地下に張り巡らされたジャンケット業者のネットワークが、たとえば陳(チャン)さんなら陳さんに100万HKD(香港ドル)のクレジットを与える。

 陳さんは一銭のカネも持ち出すことなく、その100万HKDをバンク・ロールとし、マカオでバカラの札を引いた。
 2004年までのマカオで、大きな博奕(ばくち)を打たせるハコは、スタンレー・ホーの『リスボア(澳門葡京酒店)』しかなかったのだから、そこのジャンケット・ルームだったと考えても、まず間違いではあるまい。

 現にわたしは、「中曽根総理の『裏の金庫番』」などと呼ばれていた前橋のTじいさんと、そこのジャンケット・ルームでバカラの札を引き合ったことがあった。

 話を戻す。陳さんが負ければ、その負債は自国に戻ってから現地通貨でジャンケット業者と清算する。

 勝ったりバンク・ロールが残ったりしたら、それは(多くの場合)香港の銀行に積み立てられた。(望んだら現地通貨でも支払われたそうだ)

 香港の口座に積み立てられた香港ドルとなれば、それはもう陳さんがどう遣おうと勝手だ。

 外為法を無視した、現在の言葉でいえば「マネロン(マネー・ロンダリング)」の一種である。

 地下銀行業務と呼んでも差し支えないこの商売だけで、充分に儲かるのであるが、当時のジャンケット事業者は、じつはもっともっと貪欲だった。

 負け込み、「眼に血が入って」しまった賭博亡者たちに、ジャンケット・ルームでどんどんとカネを貸し出したのである。

 これで、100万HKD(1500万円)のクレジットだった打ち手が、カジノのハコを出るときには、500万HKD(7500万円)だの1000万HKD(1億5000万円)の借金を背負っている。

 わずかな下げ銭(=打ち手がカジノに持ち込む現金のこと)だったのに、ラスヴェガスのハコを出たとき、ハマコーが5億円の借金を背負っていた秘密が、ここにある。もっともハマコーはジャンケット事業者ではなくて、カジノ事業者から直接借りたそうだが。


 以上が、ジャンケットというビジネスの「起源・出自」である、とする説が有力だ。

 お断りしておくが、これはあくまで、「起源・出自」の説明である。

 現在の大手ジャンケット事業者がやっていることではないはずだ。

 ないはずだ、と言うより、やっていてはいけない。

 以降、業務内容も業態もコンプライアンスも変化し洗練されていき、現在では香港証券取引所に上場されているジャンケット事業者が6社もある。(つづく)

⇒続きはこちら 番外編その5:知られざるジャンケット(6)

番外編その5:知られざるジャンケット(4)

 前述したように、政府に指名された有識者たちや、自称「日本で数少ないカジノの専門研究者」ですらよくわかっていない業種のようなので、ここでざっとわたしの理解するところのジャンケットの歴史を振り返ってみようと思う。

 さて、日本で「カジノ仲介業者」と訳される「ジャンケット」とは、いったいいかなるものなのか?

 これを簡単に説明するのは、難しい。

 おまけに時代の推移とともに、ジャンケットの性格やその業務内容も変遷してきた。

 ジャンケットのシステムは、STDM社として知られる澳門旅遊娛樂股份有限公司の総師スタンレー・ホー(Stanley Ho)とそのビジネス・パートナーだったテディ・イップ(Teddy Yip)によって構築された、と言われている。それまでにも似たような業種はあったらしいが、制度として確立させたのは、この二人だったのだろう。

 法的に微妙な点(というか、場合によっては明らかに違法な部分)を含むことが多かったビジネスゆえ、記録・資料の類はきわめて限られている。ジャンケットの起源・出自をはっきりと説明した権威ある学術書は、わたしの知る限りまだ存在していない。

 しかし(自称ではない)カジノ研究者の間で合意されている「ジャンケットの歴史」とは、大雑把にいえば以下のごとくなる。

 1961年12月にマカオにおける賭博独占権を、タイヒン(Tai HeingあるいはTai Hing)社から譲渡されたスタンレー・ホー(Stanley Ho)率いるSTDM社は、大規模な顧客開拓に乗り出した。

 当時、マカオのカジノの客たちのほとんどは、香港からフェリーで来る者か、ないしはマカオの地元民だったのである。

 一人当たりのGDPが日本よりはるかに大きくなった現在からは信じられないかもしれないが、この頃の香港やマカオはとても貧しかった。

 ションベン博奕を打たれて、そこから2%にも満たない、いわゆる「ウイン・レート(Win Rate=数学的にハウス側の収益となるはずのレート)」でシノギをしても、嵩(たか)が知れた商売としかならない。

 つまり、パイが小さかった。

 そこでホーが目をつけたのが、アジアの金持ちたちと共産党政権下の大陸だった。

 じつは当時でも共産党政権下の大陸には、小金持ちたちがそれなりの数存在していたのである。(つづく)

⇒続きはこちら 番外編その5:知られざるジャンケット(5)

番外編その5:知られざるジャンケット(3)

 ジャンケットという業種にかかわり、『IR実施法』の原案を作成した有識者たちの理解度だけが低い、というわけではない。 「日本で数少ないカジノの専門研究者」を名乗る「(株)国際カジノ研究所」所長・木曽崇も、その無知ぶりをさ […]

番外編その5:知られざるジャンケット(2)

『IR実施法』の原案をつくる際、専門部会で討論されたジャンケットへの理解とは、だいたい次のようにまとめられるのだろう。それが正しい理解なのか間違っていたものなのかは、ひとまず措(お)いておく。      *        […]

番外編その5:知られざるジャンケット(1)

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