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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(28)

 サンピンの8が出てきたら、1プラス8の9でプレイヤー側は負けるのだから、本当は「なんでもええ」わけがなかろう。

 8のカードが現れる確率は13分の1。

 絶対に起こらない、とは決して言えないのだが、まず起こるまい、と信じる。

 でも確率がゼロとならない限り、「まず起こるまい」という事象がよく起こるのが、ゲーム賭博であった。

 このクーを失ってもすでに準優勝賞金400万HKD(6000万円)を確保した山段の強がりだったのか、それとも心中に湧きおこった「惧(おそ)れ」の裏返しだったのか。

 ディーラーによってゆっくりと斜め脇にずらされていくカードの右上隅に、ダイヤのスートゥが姿を現した。

 脚がある。

 百田と山段の顔が、赤黒く膨れ上がっていく。

 爆発寸前まで、空気が注入された。

 ちょっと針を刺したら、破裂してしまうのだろう。

「テンガァッ」

 と百田の気合い。

 二段目にも影が現れれば、それはセイピン(9か10)のカードであり、そこで山段の優勝、百田の準優勝が決定する。

 ところが、二段目は「ヌケ」ていた。

「チョイヤアァ」

 と百田。

 山段のそれが不発だったので、今度は百田の気合いだった。

 中央も「ヌケ」ていれば、それはリャンピン(4か5)のカードで、同じく優子は即死。

「テンガ(点がつけ)」の次が、「チョイヤ(点が飛べ)」なのだから、打ち手たちも忙しい。

 そりゃそうだ。賞金総額1200万HKD(1億8000万円)が懸かった勝負なのだから。

 カードの横中央に、影が現れた。

 つまりサンピン(6か7か8)である。

「アイヤァ」

 と、膨らみきった風船から、すこしだけ空気が漏れた。

 勝ち・負け・タイ、なんでもありの展開だ。

 ディーラーが、1ミリの数分の1ずつ、重ねたカードをずらしていく。

 じらすように、責めるように。

「ついてっ!」

 と優子の悲鳴にも似た叫び。

 両手で覆ってはいるけれど、眼はしっかりと見開き、指の間からすこしずつ起こされていくカードを凝視しているのであろう。

 勝負を決するカードのスートゥはダイヤなのだから、「花が咲く(=向く)」方向は無関係となる。

 これがサンピンでもハート・スペード・クローバーのスートゥであれば、「花が咲かない」方に影が現れれば、8と確定するのだが、ダイヤでは「花が咲く」「花が咲かない」両方向を確認しなければ、6か7か8のカードかわからない。

 決勝卓を包む緊張は、極限に達した。

 その緊張に耐えられなくなったのか、

「もういい、一気に行け」

 と山段が日本語でディーラーに命じた。

 ディーラーの少女が、眼で優子と百田に問う。

「行け」

 と百田。

 かすかに頷く優子。

 やはり優子は指の間から、展開を凝視していたのである。

「では」

 とディーラー。

 鬼が出るか、蛇が出るか。はたまた天国の真珠門(パーリー・ゲイト)が開かれるのか?

 バンカー側のカードを押さえていたディーラーの細い指先が、3センチほど真横に動いた。(つづく)

※次回の更新は1/30(木)予定です

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(27)

「そうですよね。緊張しすぎて、そこまで頭が回りませんでした」

 と優子が、唇を歪めて自嘲する。

 ベットの時は赤黒く膨れていた顔だが、この時点では蒼白のそれに戻っていた。

 このとき、決勝テーブルの背後で展開を見守っていた良平は、確信する。

 バンカー・サイドがめくられて、優勝者は優子になるであろう、と。

 ディーラーの少女の細長い指が、シュー・ボックスに届いた。

「一本指でやれ」

 と百田が命じる。

 一本指なら、確かに「二抜き」「三抜き」は不可能だ。

 ここにも、大手ハウスでの「シゴト」を疑う打ち手がいた。

「シゴト」が入れられてしまうと恐れるなら、そんなハウスに行くなよ、と良平は考える。

 しかし、日本には「シゴト」の存在を信じる連中が多かった。

 それだけ、負けているということなのであろう。

 もっとも、負けている連中がほとんどだから、ジャンケットのような商売が、稼業として成り立っているのだが。

「OK, Sir」

 と、百田の命令に応じ、ディーラーの少女が一本指で、シュー・ボックスからカードを抜き出す。

 日本語で言っても通じてしまった。

 ここいらへんが、世界共通で、賭場(どば)のよいところだ。

 一本指でシュー・ボックスから抜かれたカードが二枚ずつ、所定の場所に揃えられた。

 三人の打ち手たちの呼吸が止まる。

 背後から眺めているだけで、良平にはそれがわかった。

 肌が粟立(あわだ)つ、血が滾(たぎ)る。

「ハン」

 と言ってから、ディーラーの少女が、プレイヤー側の二枚のカードをくるりとひっくり返した。

「おおっ!」

 と百田と山段が同時多発で叫んだ。

 絵札にサンピン最良の8がひっつき、「ナチュラル・エイト」である。

 優子ががっくりと顔を伏せた。

 まだあきらめちゃいけない、と良平は思う。

 あきらめたときに、希望は絶望に転ずるのだから。

 8は、確かに強い。

 しかし9というお兄さんを、残していた。

「チョン」

 とディーラーの少女が小声で言った。

 言葉を交わしたことはなかろうが、同じ職場で顔を合わせる優子に、同情しているのか。しかし……。

 勝負は、下駄を履くまでわからないのである。

 このケースでは、下駄ではなくて、二枚のカードが開かれるまで、不明だ。

 ディーラーの少女がひっくり返したカードは、二枚が重なったままだった。

 少女なりに、場を盛り上げようとしているのであろう。

 上のカードにハートのエースが載っていた。

 すると優子に必要なのは、サンピンのカードとなる。

 エースにサンピンのいわゆる「最強太郎」の組み合わせで、下のカードが「ヌケヌケ」の6でバンカー側の負け、「一点ヌケ」の7でタイ、「ツキツキ」の8でバンカー側の勝利だった。

 重なったカードをディーラーがわずかずつ斜め脇にずらしていく。

 打ち手の代わりに、ディーラーがカードを絞っている感じだ。

 優子が下げていた顔を挙げると、

「お願い、スリー・サイド」

 と言ってから、両手で自らの顔を覆った。

「なんでも、ええぞおおう」

 と四番ボックスの山段が吠える。 (つづく)

⇒続きはこちら 第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(28)

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(26)

 百田と山段の二人も、もちろんシークレット・ベットの権利を行使する。

 卓上に三枚のシークレット・カードが出揃った。

 昔懐かしい日本のバッタまき(=アトサキ)の場なら、ここで中盆が、

 ――盆中、揃いました。よろしいですか? よろしゅーござんすね。

 と言ってから、一拍置いて、

 ――それじゃ、勝負っ!

 と声を張り上げるところなのだが、マカオのジャンケット・ルームでは、

 ――ノー・モア・ベッツ。

 と交差させた腕をディーラーが左右に振って、勝負が開始される。

 勝負卓が発熱した。

 その熱が放射され、周囲まで過熱する。

 眼には見えない緊張の糸が、決勝テーブルを覆ってびっしりと張り巡らされた。

 不用意に身動きすれば、その鋭い緊張の糸に皮膚が切り裂かれそうだ。

 打ち手たちの胸は、どんどこどんどこ。

 その音まで聞こえてくるようである。

 誰もが、もう後戻りはできなかった。

 自らが下した判断に従い、偶然のカードの配列に運命を託す。

 すでに、神の領域の事象だ。

 すなわち、天命を待つ。

 ディーラーの掌が、シュー・ボックスに伸びた。

「等等(デンデン=待て)」

 の声が、一番ボックスの百田から挙がった。

“What?”

 と、ディーラーの少女。

 山段も優子も意表を衝かれた。

 張り詰めた緊張に、クラックが入ったのだろうか。

「もう変更はきかないんだから、シークレット・カードをオープンにしようじゃないか」

 と百田が提案した。

 当たり前ならカードが開かれて(つまり、勝負がついて)から開示されるシークレット・カードを、いま互いに確認しよう、という提案なのだろう。

 結果は変えられなくても、確かにその方が勝負は盛り上がる。

 山段にも優子にも、異存はない。

「シークレット・ベット、オープン」

 と百田がディーラーの少女に命じた。

 少女が、眼で山段と優子の許可を得る。

 二人が頷くと、ディーラーによってシークレット・カードが開かれていった。

 まず、一番ボックスの百田。

「プレイヤー・サイド、100万ドル」

 と読み上げてから、そう書かれた紙を皆に見せた。

 次に四番ボックスの山段。

「プレイヤー・サイド、100万ドル」

 百田が、

「うっ!」

 と唸った。

 これで百田の優勝の可能性は消えた。

 たとえマックス・ベットでプレイヤー・サイドが勝利したとしても、山段との差は埋められないからである。

 同時に山段の2位以上の成績が確定した。

「よっしゃっ!」

 山段が、両の手の平でグリーンの羅紗(ラシャ)を叩いた。

 最後に開かれたのは、優子のシークレット・カードである。

 それが開かれると、

「なんじゃ、そりゃ?」

 百田と山段の口から、同時に驚きの声が発せられた。

 優子のシークレット・カードには、バンカー・22万ドル、と記されてあった。

「だって、250万を残して、山段さんには勝とうと思って」

 と優子。

「山段もベットしなければならないんだから、そういう数字になりっこねーじゃねーか。バカか、おまえは」

 と、百田が毒づいた。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(27)

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(25)

 ――Go for Broke.  当たって砕けろ、というやつだった。  百田が優勝を目指すとすれば、この局面では当たり前ならそうする。  ディーラーがセカンド・ラスト第二十九のクーを開いてみれば、プレイヤー側には、絵札 […]

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(24)

 シュー・ボックスから一枚ずつ引き抜かれるカードの、しゅっしゅっというかすかな音が、決勝卓に残る三人の心を、きっと切り刻んでいることだろう。  いったん所定の位置に並べてから、ディーラーの少女の細長い指が、カードをひっく […]

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(23)

 プレイヤー側の最初の二枚のカードは、絵札にサンピンの6。  プレイヤー側の持ち点6には、いかなる場合でも三枚目のカードの権利はない。すなわち、プレイヤー側の持ち点は、6で確定した。  一方バンカー側のそれは、リャンコ・ […]

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(22)

 第三クーもプレイヤー側の勝利で、3目(もく)ヅラまで伸びた。  バンカー・ベットだった優子は1万ドルを失ったのだが、むしろそれを喜んでいるかのようだ。  そう、博奕(ばくち)は勝つことだけを追っていてはいけない。  負 […]

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(21)

 まだ第二クーにもかかわらず、優子は決めに行ったのだ。 「またかよ」  三番ボックスの才川が、吐き捨てるように言った。  これにも優子は、薄い作り笑いで応える。  一番ボックスにベットの順が戻り、百田がすこし考えていた。 […]

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(20)

 たとえプレイヤー側にベットしている者がこの手を負けようとも、失うのは1万HKDのみ。その代償に、優子が飛んで、敵は一人減る。  だから、バンカー。どうしても、バンカー。  同席者たちは、プレイヤー側に賭けていようとも、 […]

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(19)

「おおっ!」 「わっああ!」  とか、 「行ったあああっ」 「ぎゃっ!」 「ふひゃっ!」  と異なる叫び声が、同席者5人のすべての口から同時多発的に発せられた。  打ち手たちの背後で、決勝戦を監視・監督・審判も兼ねる良平 […]