【日ハム入団】大谷翔平は日本球界で正解か?
NANO編集部>
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10月25日のドラフト会議から6週間。ドラフト前にはアメリカ球界への挑戦を公言していた今年の目玉選手、大谷翔平投手(18歳・花巻東)が遂に、北海道日本ハムへの入団を表明した。
SHINJOの引退(2006年)、小笠原(2006年)・森本(2010年)の国内移籍、ダルビッシュのメジャー移籍(2011年)に続き、今オフも生え抜き田中賢介のメジャー挑戦など、人気・実力を兼ね備えたスター選手の流失が相次いだ日ハムには、斎藤佑樹以来の待望の大型新人の入団となる。
そして何より見事なのは、一貫した姿勢で大谷翔平を評価し続け、入団拒否のリスク承知でドラフト1位指名に踏み切った、日ハム球団のドラフトに対する姿勢だ。
日ハムは昨年、巨人と相思相愛だった菅野智之(当時東海大)をドラフト1位で指名し、巨人との一騎打ちの抽選で交渉権を得たにも関わらず、本人の固い意志により獲得断念に至った過去がある。
下手をすれば2年連続の「ドラ1空クジ」に、恐れることなく勇敢に立ち向かった姿勢こそ、まさにファイターズの名に相応しいドラフト戦略であった。
戦力均衡をうたうドラフト制度の本質は、本来、その年の最も力のある選手たちを球団毎の需要を加味して指名する点にある。諸事情はあれど、事前情報に惑わされず、球団の確固たるスタンスを貫いた日ハムには、天晴れの賛辞を呈したい。そして他球団には、透明性の高い日ハムのドラフト戦略を大いに見習ってほしいものである。
◆もしアメリカに行っていたら……
さて、まだ18歳、高校三年生の若き逸材は、自らの進路選択に大いに悩んだことだろう。
もしアメリカに行っていたら……と妄想も尽きることはないだろう。そこでマイナーリーグの日常の一端を紹介すると、そこにはメジャーの比にならない過酷な日常が待ち受けていたことだろう。
クラブハウスの食事情は「食パン+ハム+ジャム」がデフォルト。試合で履いた選手数十名分の靴下などは、日本では見ることのない強烈な漂白剤と共に、乾燥機付きランドリーに無造作にぶち込まれ、翌日は早い者勝ちで洗濯物のソックスを奪い合うサバイバルライフが実態だ。
いくら名前や背番号が書かれた自分のソックスであっても、ひとたび他人が履いたソックスを、英語(またはスペイン語)で奪い取るのは至難の業。長時間揺られる遠征のバスも、白人バスとそれ以外の人種のバスに分かれる、ひと昔前の「書かれざるルール」が今も残り、普通の日本人なら野球以前にメンタルが故障してしまう環境だ。
一方で、日ハム入りを表明したものの、球界初の投手・打者の二刀流育成プランなど、未知な面もあるだけに、今日の入団表明でひと段落はしたものの、大谷投手の胸中には、期待と不安が依然として同居していることと察する。
しかし心配御無用。日ハムの選手育成は、球界随一と評判の球団なのだ。
例えば外野手として不動の地位を築いた糸井嘉男は、入団当初は投手だった。2004年のプロ入り後は、2年間一軍での登板はなく、先発した2軍戦では、ひと試合5ホーマーを浴びる不様なノックアウトも喰らったが(2004/6/15湘南戦)、2006年4月の野手転向から、わずか数年で球界を代表する外野手へと育て上げた実績もある。
かのホームラン王にして、野球の神様と謳われているベーブ・ルースも、メジャーデビュー当時は打者・投手の両刀使いだった。ここはひとつ大谷投手には、閉塞感漂う日本球界にダイナミックな二刀流旋風を期待しようではないか。そしてズバリ、日ハム球団には、その可能性を多いに引き出せる、総合的な組織力が内在すると見た!
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