上原浩治が語る「ボストンテロで一つになったレッドソックス」
※1/7発売の週刊SPA!「エッジな人々」では、上原のロングインタビューが掲載されている。ここては紹介しきれない「世界一の掴み方」をぜひお読みいただきたい。
<取材・文/小島克典(スポカルラボ) 撮影/渡辺秀之>
代名詞となった勝利の雄叫びとハイタッチ。キャリアハイの躍動の裏で「吐きそうだった」とMVP獲得時に漏らした本音。数々の記録を打ちたて、日本人初のワールドシリーズ胴上げ投手となったボストン・レッドソックスの上原浩治選手。前年最下位だったレッドソックスだが、上原が移籍した当初はまだ空気は重かったようだ。
「ボストンを選んだのは世界一レベルの高いア・リーグ東地区で戦いたかったから。春のキャンプで集まった直後は、前年の成績を引きずっている雰囲気が少しありましたね。そこにジョン・ファレル新監督、投手はデンプスター、ハンラハン、野手はゴームス、ナポリ、ビクトリーノが加わった。自分もたまにバカな真似をしながら、やるときは真面目にやる。いいキャンプを送れました」
そして迎えた開幕。その直後の2013年4月15日、ボストン・マラソンで爆弾テロがあり、ボストンの街は悲嘆に暮れていた。その事件を乗り越えての優勝だったわけだが……。
「個性派集団のメンバーがひとつにまとまらざるを得なかった、と言いますか。テロで亡くなられた方が何人もいたわけで……」
3人が死亡し、282人が負傷したというこの事件では、チェチェンから移民した兄弟が容疑者として発表され、のちに兄は射殺、弟も逮捕されるも重傷を負うなど、その後も後味の悪い展開が続いた。このテロ事件から上原選手自身は何を感じたのだろうか?
「事件後、遠征から帰って被害者を病院にお見舞いにいったとき、皆さんの笑顔がすごく良かったんです。僕らは医者ではないし、野球でしか貢献できない。ならばもうちょっと野球を頑張ってもいいんじゃないかって。これはボストンに限った話ではなく、今オフも帰国してから東北の被災地に野球教室で行きましたが、野球ひとつで子供たちが笑顔になる。だったら僕は野球を頑張ろうって思います。優勝パレードのときのボストンの人々の笑顔も、頭のなかに今も鮮明に残っています」
『週刊SPA!1/14・21合併号(1/7発売)』 表紙の人/SKE48(松井玲奈・松井珠理奈) 電子雑誌版も発売中! 詳細・購入はこちらから ※バックナンバーもいつでも買って、すぐ読める! |
ハッシュタグ