検査、検査、そして検査[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第7話)]

健康な人の脳。亡妻のそれは蝶々の片方の羽がもぎ取られていた。

健康な人の脳。亡妻のそれは蝶々の片方の羽がもぎ取られていた。

脳梗塞の既往症

 週が明け、11日の月曜日(2016年4月)、今日からいろんな検査が始まる。それによって、どういう治療法がふさわしいのかが決定される。悪いところが見つからなければ良いのだが、とひたすら願った。まずは頭から腹にかけてのCT(コンピュータ断層写真)撮影である。  脳についてはすでに既往症があった。数年前、脳梗塞の痕跡が3か所発見されている。この時、脳梗塞と聞いて、ボクはびっくりしショックも受けたが、自覚症状などは全くなく、加齢に伴うもので、とりたてて心配することはないと言われた。  診断してくれたのは、慈恵医大病院脳外科の村山雄一先生だが、同時に先生は「頸動脈に狭窄があるが、バイパスが自然にできていて、それで脳に対する血流は維持されている」とも指摘した。  その後、半年に一度、先生のクリニックに通い、MRI(核磁気共鳴画像法)で脳内部写真を撮ってもらい万全を期した。そんなわけで、脳について「全く問題なし」とは言えないわけである。  ボクは平成6年に、妻を脳腫瘍で亡くしている。乳癌の発見と対応が遅れ、最後はガンが全身に転移し、あたら若い命を落とした。亡妻の闘病中、脳の写真をよく見せられた。卵大の腫瘍が脳の中心部深いところに出来ていた。  妻の脳内部を輪切りにしたような画像が頭に焼き付いている。本来あるべき脳室という「蝶々の羽」が開いたような部分が無残に変形していた。それに反して、村山先生に見せられたボクの脳は蝶々が一応、羽を開いていた。  胃、肺、腎臓、肝臓もとくに問題はないとされた。ただ、大腸に憩室があるといわれた。憩室は長い大腸の一部に出来たくぼみであり、突起状のポリープとは対象的である。  年を取ると憩室が出来やすいとのことだが、ボクの場合、痛みや下痢なども伴っていないのであまり気にしないようにとなぐさめられた。  それにしても憩室「憩いの部屋」とは優雅な名前である。「排泄物の休憩室にならないように食物繊維をしっかり採れ」とネット情報にあった。

血に問題あり

 CT検査以外では、糖尿、不整脈も問題ないし、冠動脈狭窄以外の心臓機能についても心配することはないとのことだった。ただ、血液に問題ありとの診断が出た。いわゆる貧血である。  それほど重篤なことではないと言われ一安心した。年齢相応にからだの機能が劣化していたが、手術や治療に耐えられないほどではなさそうである。病いが顕在化していないという点で典型的な未病だ。  それまでボクは健康状態を訊ねられて、「頭と顔と口が悪いのは生涯治らないと言われています」と冗談めかして話すことはあったが、全身を精密にしかも、最新の医療機器で調べられてしまうと、悪いところが次々に出てきてしまい、洒落が通じなくなる。  いずれにしてもいつ爆発するやも知れぬ心臓根幹部の不発弾だけは一刻も早く処理しなければならない。

内視鏡検査もパス

 翌12日は内視鏡検査である。ターゲットは食道・胃・十二指腸でCTより詳しく調べるらしい。ボクは消化器には自信があった。多種・雑多なものを食べてきたがボクの消化器はそれをこなしてきた。何かに当ったとか、アレルギー症状を起こしたということもない。  健康診断的に言えば、ボクの場合は消化器より肥満、糖尿、高尿酸値、高コレステロール症の方が問題だった。「過食は糖尿に、美食は痛風になる」そうだが、間違いなくその予備軍ではあった。しかし、病者とは言えず、だから未病なのである。  それだけに消化器検査については心配することもなく、鎮静剤の注射を受けてたちまち眠ってしまった。検査終了後もしばらく眼を覚まさなかったらしいが結果は何の問題もなかった。  明らかに病根が見つかったら、それを断つに越したことはない。そのためには医療を信じ、時に応じて未病に立ち向かうことだ。ボクの心臓の不発弾処理もその一つで、おかげで健康寿命を長らえることができている。 無病息災ならば万々歳だが、未病息災だって捨てたものではない。 協力:東京慈恵会医科大学附属病院 【境政郎(さかい・まさお)】 1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。
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