旧石器時代「岩宿遺跡」発見の人間模様(1)――70年前までは、その時代はないとされていた

日本の旧石器時代と岩宿遺跡を紹介する中学校の歴史教科書(育鵬社版)赤線部分がそれに該当する

縄文時代より前の時代は

 今回は旧石器時代がテーマなのだが、まず縄文時代から話をはじめよう。  日本列島の歴史において、今から「約1万5000年前から紀元前4世紀頃」までの時期を縄文時代と呼ぶ。  この時代、私たちの祖先は食物を煮炊きしたり保存するために、「世界で最古の土器の一つである縄文土器」をつくり、また表面を磨いて尖(とが)らせた磨製(ませい)石器を用い狩猟や採集生活を送り、植物の栽培も行われ、人々の定住とムラの発達が見られた。  この縄文時代の遺跡は、日本の各地から発掘されており、とりわけ三内丸山(さんないまるやま)遺跡(青森県青森市)からは、約5000年前の巨大な集落跡が発見され、その豊かな生活様式は、世界の古代文明に勝るとも劣らないと海外から高い評価を得ている。  こういった太古の時代(先史時代)を人類の道具の使用の観点から見ると、石を用いた「石器時代」→金属としての青銅を用いた「青銅器時代」→金属の鉄を用いた「鉄器時代」とに分類される。  この石器時代は、土器を使用せずに石を打ち砕いて作った打製石器を用いる「旧石器時代」と、土器を使用して上述の磨製石器を用いた「新石器時代」に分けられ、縄文時代は土器と磨製石器を用いており、新石器時代に該当する。  では、縄文時代より前の時代である旧石器時代は、日本にあったのか?

関東ローム層から発見された

 いささか回りくどい問いかけになってしまったが、もちろん今日、どの歴史教科書でも日本の旧石器時代が紹介されており、その遺跡の数は、全国で7500を超えている。  しかし、不思議なことに明治以降、戦前の学界では、日本の歴史の始まりは縄文時代であり、その前の時代に相当する旧石器時代はなかったとされていた。  その存在が一転、認められるようになったのは、今から70年ほど前の戦後間もない時期に、関東ローム層から黒曜石で作られた打製石器、つまり旧石器を納豆売りなどの行商をしながら考古学への関心を持っていた一人の在野の青年が発見したことが契機となる。  日本の先史時代を書き換えたこの遺跡は「岩宿遺跡」と呼ばれており、群馬県・赤城山の山麓のみどり市(旧笠懸村)に位置しており、JR両毛線「岩宿駅」から徒歩25分ほどの距離にある。昭和54(1979)年、国指定史跡となっている。  日本の旧石器時代や、その旧石器を発見した青年のことを知りたいと思い、岩宿博物館、岩宿ドーム、相澤忠洋記念館を訪れた。(続く) (文責=育鵬社編集部M)
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