異能・異端の元財務官僚が日本を救う(1)――国益と政策的合理性の追求

外務省の岡崎久彦大使と元財務官僚の高橋洋一氏


外務省には異端と評された岡崎久彦大使が


 官僚は、本来ならば国益と政策的合理性の追求が求められている。

 しかし、官僚組織に属すると、自らが所属する組織の「論理」に従い「忠誠」を尽くす。その方が仕事をしやすくなり、順調に出世し権限も増えるからだ。また、再就職する際に便宜を図ってもらえるというメリットもある。

 こうして組織の論理や要請に従うと、国益よりも自らが属する省庁の利益(省益)を追求しがちになる場合があり、政策的合理性から乖離(かいり)してしまうケースがある。

 こうした中、時には所属する省益に反しても、国益の追求と政策的合理性を貫き通そうとする官僚もいる。

 外務省にあっては、戦後一貫してひたすら日米同盟の盤石化に尽力したため、異端とも評されていた岡崎久彦大使(故人)がいた。かつて、岡崎大使から次のような話を聞いたことがある。

 何かの案件で部下が、「こうした方が外務省の利益になる」と述べたところ、岡崎大使は、「外務省の利益などと言うな。国益に適うかどうかで考えろ」と叱ったという。外交官たる者は、省益よりも国益を重んじろという論理である。

 そのためか、戦後のハト派路線の継承という論理を重んじていたかつての外務省内部での評判は必ずしも良くなかった。岡崎大使本人もその点を自覚していたようで、回顧録で次のように述べている。

 昭和53(1978)年夏、国際関係担当参事官として防衛庁に出向しました。……防衛庁でやっているうちに、自民党のタカ派が私の支持者になっていきました。当時の園田直外相からは「おまえ評判いいな。だけど全部、外務省外だけどな」などと言われたこともありました。(岡崎久彦著『国際情勢判断・半世紀』育鵬社、2015年刊、80ページ、83ページ)

 田中角栄首相が全盛期の時、「日中国交回復は時期尚早である」という意見を述べ、ソウルの在韓国日本大使館に左遷されるなど官僚としては異色・異端であった。しかし、外務省きっての論客と謳われた岡崎大使の遺志は、内閣官房に設置されている「国家安全保障局」の中枢に受け継がれており、この組織は、現下の北朝鮮の情勢判断を誤りなきように日夜、激務をこなしている。

経済学の勉強が面白く留学を1年延長したため干された高橋洋一氏


 さて、前置きが長くなったが、財務省出身者においても同様の人物がいる。高橋洋一氏である。

 彼は、1955(昭和30)年東京都生まれ。東京大学理学部数学科を卒業後、学士入学で経済学部に籍を置きつつ統計数理研究所(旧文部科学省統計数理研究所)で非常勤研究員となる。翌年の正式採用を経て数学の学者の道を歩むはずが、採用の約束を反故(ほご)にされやむなく退職。東京大学経済学部を卒業後、大蔵省(現・財務省)に1980(昭和55)年に入省したという変わり種であり、異能の持ち主だ。

 入省後は大蔵官僚として同省の理財局資金企画室長などを務め、その後、1998(平成10)に留学の機会を得て米国のプリンストン大学客員研究員となる。本来ならば2年間の予定であったが、経済学の勉強が面白くてしょうがなく、そのまま勉強した方がお国の役に立てると思い、帰国の予定を蹴って1年延長した。そのため、「組織の掟を乱す者」として帰国後の財務省が用意したポストは他省庁への出向という閑職であった。組織の掟に従わない異端者として干されたのである。

 しかし、この3年間のプリンストン大学の客員研究員の経験が、高橋洋一氏の経済政策の理論的基盤を盤石にした。(続く)

(文責=育鵬社編集部M)

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