世界文化遺産から読み解く世界史【第40回:ヨーロッパ文化の結晶――ヴェルサイユ宮殿】

ヴェルサイユ宮殿(縮小)

ヴェルサイユ宮殿

ヴェルサイユ宮殿はルイ14世による都市建設の大事業によって生まれた

 ポーランドはフランスの強い影響を受けていました。貴族たちもフランス語で話をしていたこともあります。ポーランドが生んだ天才ピアニストのショパンも、パリで活躍しました。  ここでもう一度、フランスに戻ります。  ヨーロッパ近代という時代について俯瞰したとき、イギリスが経済的、軍事的にリードしたのに対して、フランスは文化的、思想的に近代というものをリードしたといえます。ルイ14世がヴェルサイユ宮殿をつくったのは、「朕は国家である」というフランス絶対王政といわれる時代の、画期的なヨーロッパ文化の結晶を目指したわけです。というのは、ヴェルサイユ宮殿には、政治だけでなく、文化的にもヨーロッパを統一しようとする思想が込められていたからです。  ヴェルサイユはパリに近い小寒村でした。そこに約20年かけて、できるだけ荘麗な宮殿をつくろうと増改築を続けながら、総合的な町をつくったのです。そして1682年にルイ14世が宮廷と政府をパリのルーブル宮からこちらに移したのです。小寒村は人口5万人の都市になりました。これは、都市の建設という大事業でした。

西洋人と日本人の自然観の違い

 ヴェルサイユは、単なる宮殿ではなく、中には礼拝堂やオペラ劇場がつくられ、広大な庭園を持っていました。以後、この庭園が、ヨーロッパの庭園の範例となるわけですが、これは、ヨーロッパ的な自然観をよく示しています。広々とした庭園を左右対称につくり、常に人工的な手を加えて、植生や水の流れといった自然を、全て人工的につくっているのです。そこには、自然を支配し、コントロールしようという自然観が表れています。そこが日本の庭園との違いです。  自然に対して、自然の力のほうが人間の力よりも大きいと考え、自然に従う手法をとる日本と、人間の力のほうが大きいと考え、人間の力で自然を支配してしまおうとするヴェルサイユ宮殿は対照的です。そしてこうしたヴェルサイユの様式がヨーロッパ中に広がっていくのです。

ハプスブルク家の栄華を示すシェーンブルン宮殿

 ウィーン郊外につくられたシェーンブルン宮殿は、ヴェルサイユ宮殿を模しながら、ヴェルサイユ宮殿を超えようとするくらい、ハプスブルク家の栄華をそこに発揮させようとしたものです。これは17世紀の末に、レオポルト1世によって、離宮が造営されるのですが、後にマリア・テレジアがこの離宮を居城と定めて、建築家のパカッシのもとで1744年から大規模な増改築が行われました。これも非常に人工的で幾何学的な自然をコントロールしようとする庭園でした。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』ほか多数。
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