世界文化遺産から読み解く世界史【第41回:〝会議は踊る。されど進まず〟――ウィーン】
ベートーヴェンやモーツァルトが活躍した音楽の都
ウィーン(オーストリア)は、神聖ローマ帝国の中心地ですが、1683年にトルコ軍の攻撃をしのいだ後、18世紀以降にバロック都市として非常に規模を大きくしていきました。 市壁の外にはトルコと戦った英雄オイゲン公の離宮をつくったり、ベルヴェデーレ宮殿や、シュヴァルツェンべルク宮殿などがつくられていくわけです。1857年には皇帝ヨセフ1世がこの城の中の市壁を取って、環状道路にして都市を広く使用するようになりました。地区の開発を進めたのです。 いま、ウィーンはハプスブルク家の町、バロックの町という以上に、さまざまな文化施設を持つ美しい町になっています。ウィーンはまた、特に音楽の盛んなところで、ベートーヴェンやモーツァルトもここで活躍しました。 モーツァルトは隣のザルツブルクで生まれました。ザルツブルクとは「塩の城」の意味で、その名の示すとおり、この町は、紀元前の時代から、岩塩の町として栄えてきました。 ザルツァッハ川をはさんで左岸の旧市街には、レジデンツ(大司教宮殿)やホーエンザルツブルク城、ザンクト・ペーター修道院聖堂などが、右岸の新市街には、ミラベル宮殿などがあります。この町も非常に調和のとれた町です。毎年夏に開かれるザルツブルク音楽祭には、世界中からクラシックファン、モーツァルト愛好者が数多く訪れます。世界史の分水嶺となったウィーン会議
ウィーンのシェーンブルン宮殿では、ヨーロッパの歴史上、重要な国際会議であるウィーン会議が開かれています。これは、ナポレオン戦争後の諸問題を処理するために、オーストリアの外相メッテルニヒを議長として開かれたものです(1814~1815年)。 しかし、各国の利害は対立し会議は混乱します。また、ウィーンで開かれたために、舞踏会や音楽会、夕食会が開かれたりしたのですが、議論は進みませんでした。そのため、「会議は踊る。されど進まず」という有名な言葉が生まれました。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』ほか多数。
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