ホスピタルの語源[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第49話)]

病気を診ずして 病人を診よ

「奥が深い言葉である」

看護婦さんの「聴く」姿勢

 慈恵医大病院に入院中、あるいは通院時、院内を歩いていて、よく目にした光景がある。看護婦さんが膝を屈して患者の話を聴いているのである。  ボクが入院に至った最初の心臓CT写真撮影時もそうだった。若い看護婦さんが廊下に膝を付けて、椅子に座っているボクに問診するのである。  看護婦さんの視線はボクを見上げるような形になる。ボクは素直に自然に症状を話すことができた。  看護婦さんもメモを取りながら、相当細かいことまで聴いてくれた。それは「聞かれた」というよりまさしく「聴いて」くれた。 「聞く」と「聴く」では微妙にニュアンスが異なる。漢和辞典で調べると「聞く」の第一義は「音を耳に感じること」であり、「聴く」のそれは「耳を立てて聞くこと」「注意して聞くこと」である。  どちらが患者にとってありがたいか。いうまでもなく「聴いてもらう」方である。「聴く」姿勢の中には患者に対する共感や心配りが感じられる。

ホスピタルのスマイルカウンター

 この病院にはスマイルカウンターというセクションがある。いわゆる「受付」と違って、患者を迎える窓口みたいなものである。  冬の寒い日だったが、車いすの患者の来院に出くわしたことがある。介護の人は、いち早く受付を済ますべく、車いすの患者をドア近くに残して受付に飛んでいった。  患者が何か要求したわけではないが、それを見ていたスマイルカウンターの女性スタッフが走り寄って、「ドア付近は寒いので、奥の方に行きましょう」と言い、暖かいところに移動した。ボクは細かい配慮に感心した。  病院を英語では「ホスピタル」(hospital)という。その語源はラテン語のhospes(客人の保護者)にあるという。  そこからhospitality(手厚いもてなしや心配り)という言葉も生まれてくる。hospesはホテル(hotel)の語源でもある。病院もホテルも手厚いもてなしを旨とするところである。  ガン患者などのための終末期の医療施設を指す「ホスピス」も同じ系譜の言葉である。  ただ、「ホスピス」は、そうした患者に対して特段の延命措置などを行わず、身体的苦痛を和らげ、日常に近い形で「精神的な充実」を施す「理念」でもある。

「病気を診ずして病人を診よ」

 ボクは24年前、ガンの全身転移で、終末を迎えた妻のターミナルケアを経験した。場所は妻の実家。  彼女の子供のころからの日常の延長のような形で、病状告知などはせず、介護・看護をした。話しが出来るうちは言葉も交わしたが、それがかなわなくなって、最後のコミュニケーションは手を握り合うことだった。  衰弱した彼女に、こんな力があるのかと思うほど、固く握りしめてくれて、なかなか離そうとしなかった。そのときの彼女の顔がとても安らかだったことが忘れられない。  慈恵医大を創った高木兼寛学祖の診療理念は「患者の心のひだ」まで診るところにあった。胃ガンで末期を迎えていた患者を往診していつも「暖かくなったらよくなるでしょう」と言ったという。  家人が官学医学部教授の高名な医者にも診てもらったところ、教授医者は「胃ガンです」と断言した。患者はほどなく息を引き取った。  ボクは学祖のようなお医者さんに診てもらいたい。慈恵医大の建学の言葉「病気を診ずして病人を診よ」にはホスピタリティを感じ、それだけで病状が改善するような気になる。 学祖の言うように、「心身一如」である。 協力:東京慈恵会医科大学附属病院 【境政郎(さかい・まさお)】 1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。
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