世界文化遺産から読み解く世界史【第43回:フランス革命とは何だったのか(続)】
ナポレオンの失脚と王政の復活
一度、復活したナポレオンも、ワーテルローの戦いで敗れると、再び帝位を追われてセントヘレナ島に流されました。 そうした経緯で、ウィーン会議は結局、フランス革命とナポレオンの出現による混乱を収拾させることができなかったのです。 ウィーン会議によってフランスではフランス革命以前の王政が復活し、ルイ18世、その後はシャルル10世が国王になりました。それに対する市民の反抗が起こり、それが1830年の七月革命となりました。このとき、ルーブル宮を市民が占領しました。パリは市民の手に落ちたというわけです。国王シャルル10世はイギリスに亡命しました。 このルーブル宮殿はいまでこそ美術の殿堂になっていますけれども、これは確かにフランス革命によって、ルイ王朝の支配が終わって、そこが美術館になったのです。しかしそれが美術館となっても国王が保持していたために、1830年の市民の蜂起で、市民が占領するという格好になりました。そして、オルレアン家のルイ・フィリップが新たな王になったのです。 しかし、ルイ・フィリップも18548年の二月革命によって、イギリスに亡命しました。そうした混乱がずっと続きました。フランス革命の光と影
フランス革命とはいったい何だったのかということは、その意義について、十分な議論が必要だろうと思います。 暴力的な革命の動きによって国が混乱するとともに、フランスの長い伝統と文化、宗教と理性の調和というデカルトやパスカルが試みた思想が大きく揺らぎました。フランスの国力が非常に弱まっていったということは明らかです。 フランス革命の後に、それを市民革命と称して、市民革命の後には、労働者革命へと道を開いたわけですが、それは成功しませんでした。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に新刊『日本国史――世界最古の国の新しい物語』のほか『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』など多数。
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