闘病記を論ず[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第52話)

55号

「明るく笑えた55号のコント」

死を受け止めるまで


「楽しくなければ闘病じゃない」も終盤に来た。今でもこのタイトルに忸怩たる思いがないわけではない。

 闘病とは真剣、深刻なものであるはずだし、現実に様々な闘病記を読んでもそうした思いを強くするものが多い。

 特に死と向き合った闘病記には自ずから身を正してしまう。寝そべって読んでいても座り直して読むくらいだ。

 一般に死を受容するに至るには5段階あるという。重篤な病にとりつかれ、医師からその真実を告げられた時、まずは「否認」する。「何かの間違いだ」として受け入れない。これが第1段階。

 第2段階は「怒り」。「なにも悪いことはしていないのに、なんで俺がこうなるんだ」という反応である。つい最近も高名な経済学者がステージ4の膵臓がんを告知されたとき、「なぜ俺がガンなんだ」という気分になったと告白している。

 第3は取り引き。神や仏にすがりなんとか命を長らえさせてほしいと願う段階。信心の深さなど関係ない。

 そのうちに神さま仏さまのおっしゃることは何でもしますから少しでも死を先延ばししてほしいと思うようになる。だからこれを取り引き段階というようだ。

 第4は抑うつ段階。神も仏もないと思うようになり、憂鬱な気分に支配される。そして5段階目が死の受容である。自分の人生を静かに見つめ直す時だ。

 乳ガンが脳をはじめ全身に転移して夭折した亡妻も言葉にこそしなかったが、こうした経過をたどった。

笑う医力


 本来、闘病とはそういうものだろう。

 にもかかわらず、ボクは軽薄なタイトルの闘病記を書き続けてきた。というのは数多ある闘病記の中に「笑い」に関する一群があるからである。

『笑いごとじゃない―世にも明るい闘病記』(ジョーセフ・ヘラー、スピード・ヴォ―ゲル)、『消えろクソがん』(竹内ゆうじ)、『コロムビア・ライトの高等がん漫談』(コロンビア・ライト)などなど。最後の本など、「喉頭がん」を「高等がん」と駄洒落ている。

 この一群ほどくだけていなくても、死と直面しながら、従容としているものもある。神足裕司『一度、死んでみましたが』、金子哲雄『僕の死に方』などには達観したユーモアさえ感じる。

 また、「笑うこと」の大切さを科学的に教える本にも出会った。『笑いと治癒力』(ノーマン・カズンズ)、『笑いの治癒力』(アレン・クライン)、『笑いの医力』(高柳和江)等である。

 高柳書には「笑うと免疫細胞が活性化し、免疫力が高まる」とあるし、ノーマン・カズンズ書にはカントの「純粋理性批判」から、大声で笑うと、「健康感すなわち腸と横隔膜とを動かす情感――を生み出し、――われわれはそれによって精神を肉体の医師として使用することができる」という文章を引用している。

 そういえば芸能プロダクションの吉本興業や松竹芸能なども「笑いと健康」について臨床的な研究をしているということを聞いた。

 ボクは大学時代、落語研究会に所属し、実演はしなかったが、「人は何故笑うのか」と言った生真面目な研究をしたことがある。

 そのとき読んだフランスの哲学者アンリ・ベルグソンの『笑い』(岩波文庫)にもカントの言葉があった。曰く「笑とは期待が俄かに無に解消することから生じる」

 なんとなくわかるような気もし、哲学者の言葉に頭が下がったが、難しすぎて頭が痛くなる印象もあった。

コント55号の効用


 若いころテレビのレポーターをしていた頃、上司に常田久仁子さんというプロデューサーがいた。勘が鋭く、決断力があり、さっぱりしていて、よく池袋のお宅を訪ねたことがある。

 この人はお笑いコンビ「コント55号」(坂上二郎・萩本欽一)を起用して、「コント55号の世界は笑う」など記憶に残る番組を作った。

 ボクはコント55号の番組をよく見た。二郎さんが「飛びます!飛びます」と言って舞台上を走り回るコントに腹がよじれたこともある。

「やるぞやるぞ」と思いつつ、それを見て笑い、ちょっとしたストレスや嫌な気分を忘れてしまうのである。いまから考えればそれも笑いの医力なのだろう。

 それはこの闘病記の原点にある独断的信念でもあるが、さりとて難しくとらえているものでもない。

 フジテレビ黄金時代の名コピー「楽しくなければテレビじゃない」を拝借しただけと言えなくもない。

それでも笑いには効用があり、わかりやすくその効用を引き出すのはカントよりコントなのである。

協力:東京慈恵会医科大学附属病院

【境政郎(さかい・まさお)】
1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。





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