日本国史【1】土偶にはなぜ異形のものが多いのか?
土偶は何のためにつくられたのか?
縄文土器とともに出土したものに土偶があります。これは土でつくった人形です。 土偶は、女性をかたどったものが多く見つかっています。出産ということが神秘的に感じられたからなのでしょう。また、土偶には異形のものも多く見つかっています。それはどうしてなのか。私はこんなふうに考えています。 このころは近親結婚が多かったのです。それは神話で伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)が兄妹婚をしたことが普通に述べられていることからもうかがえます。しかしその結果、伊邪那岐と伊邪那美の間には最初、蛭子(ひるこ)という障害のある子が生まれました。 伊邪那岐と伊邪那美はなぜこのような子ができたのかと高天原の神に問います。しかし神も結局はよくわからず、ただ結ばれるときに女神である伊邪那美のほうから声をかけたことがよくなかったといい、次は伊邪那岐のほうから声をかけなさいとアドバイスをします。それに従ったところ、今度は健常な子ができたという経緯が『古事記』には書かれています。 文化人類学的にいうと近親相姦は自然状態であり、それを克服してタブーにしたり禁忌して克服したときに初めて文化がはじまるという定義があります。しかし、私は必ずしもそうではないと考えます。 母系制という家族制度の中では近親相姦的なものはずっと続くのです。しかし、それゆえに生まれた子には病気も多かったのでしょう。そのことが土偶の異常な体型に反映されているのではないかと思うのです。異形の人々をおそれる気持ちと敬う気持ちがこうした異形の土偶をつくらせたのでしょう。 日本は日高見国の建国以来、だんだんと安定してきた国です。これは非常に豊かな縄文の狩猟、漁労、採集の生活によって栄養が十分とれた人たちが日高見国時代をつくってきたからです。 伊邪那岐、伊邪那美も日高見国の統治者の系統の中にいたのでしょう。そして、だんだんと母系制になってくる中で蛭子が生まれたわけです。これは一つの悲劇ですが、同時に蛭子は神でもあるので決して見捨てられることはありませんでした。後には神として神社に祀られることにもなりました。その神としての姿が土偶なのだと私は考えています。 土偶というものは南米にも存在します。南米の土偶はほとんどが奇形です。精神を患っているような姿のものもあります。土偶にされたのは異形の人たちだったということがわかります。しかし、それは偶像化することによって神として祀られ、霊的な存在として重要視されたのではないでしょうか。 (出典=田中英道・著『日本国史』育鵬社) 田中英道(たなか・ひでみち) 昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める。著書に『日本美術全史』(講談社)、『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『日本の文化 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『世界文化遺産から読み解く世界史』『日本の宗教 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』『日本国史――世界最古の国の新しい物語』『日本が世界で輝く時代』(いずれも育鵬社)などがある。ハッシュタグ
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