更新日:2021年07月16日 11:42
エンタメ

RAD 野田洋次郎 “泥酔パーティ”写真を自ら投稿した意図は?反自粛か、ただ幼いのか

“反自粛”はいいけれど、幼い印象も

   野田洋次郎に限らず、海外でもミック・ジャガーが自主隔離のルールを破ってサッカー観戦をして罰金を課されましたし、エリック・クラプトンも政府による行動制限を批判する楽曲をリリースしたり、ワクチンの危険性を訴えたりしています。必死に我慢して新型コロナに打ち勝とうと言っている人ばかりではないという事実も押さえておく必要があるでしょう。  それでも、一連の言動が、36歳という年齢より幼く感じられるのも否めません。それは彼らの楽曲に表れているのではないでしょうか。細々とした問題をひとつひとつ解決していく現実ではなく、いまここにないものを求めて未来を描く。そのモチベーションを、他者や周辺の環境に依存する傾向が、ことごとく歌詞に込められているからです。

夢や希望を「なぜ持たせたか」って?

 たとえば、映画『天気の子』の主題歌「愛にできることはまだあるかい」(作詞・作曲:野田洋次郎)のこの一節はどうでしょう。 <何もない僕たちに なぜ夢を見させたか  終わりある人生に なぜ希望を持たせたか  なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか  それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい>  当然、誰かから強制されて夢や希望を持つわけではありません。各々が勝手に浮かれたり落ち込んだりするだけの話です。それなのに、野田氏にかかると、なぜだか当たり前のように使役(~させる)の形を取ってしまう。つまり、自分に責任が生じないというセーフティーネットが、物事が発生するための前提条件になっているわけですね。
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良くも悪くも、一貫性があるのかも
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音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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