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中東、冬季…“初”づくしの2022年W杯。では“初”開催がウルグアイになったワケは

11月21日にFIFAワールドカップ(以下、W杯)が開催する。今回のW杯は初の冬季開催、初の中東開催となるカタール大会だが、そもそもW杯の歴史を紐解くと、初めての開催までには様々な障害があったことがわかる。知られざるW杯初開催にまつわるエピソードを紹介しよう。『サッカーはなぜ11人対11人で戦うのか?』より一部抜粋

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W杯はなぜ1930年まで開催されなかった?

 国際サッカー連盟(FIFA)は、1904年5月21日にパリで設立された。その設立が決まったのは、フランスの首都のサントノレ通り229にあるフランス・スポーツ競技社団連合(USFSA)のビルの、中庭の奥の小部屋においてだった。  FIFAは文字通り、USFSAの陰に隠れた存在だったのだ。FIFAはフランス、ベルギー、デンマーク、オランダ、スペイン、スウェーデン、スイスの代表者による目立たない会議から誕生した。スコットランド人のアーサー・キネアード卿が会長を務めるイングランドサッカー協会は、代表者の派遣を拒否した。  この初回の会合の席で、その当時イングランドで使用されていたものを基本としたルールの統合、競技の振興、ほかの各国の協会への参加の呼びかけなど、多くのことが決まった。その時には国の代表チーム同士が対戦する大会というアイデアも検討され、1905年もしくは1906年の開催を目指すことになった。

クラブチームが参加する案も

 その翌日、FIFAは第1回の総会を開き、フランス人のロベール・ゲランが初代会長に選出された。その1年後には、イングランド、ドイツ、オーストリア、イタリア、ハンガリー、ウェールズ、アイルランドの協会がすでに加盟していた。6月10日から12日まで再びパリで開催された第2回の総会では、初の「ワールドカップ」というアイデアに各国の代表者たちは乗り気だったが、クラブチームが参加するのか、それとも国の代表チームが参加するのかは決定されなかった。  また、プロの選手たちの参加の可能性についても合意に至っていない。しかし、グループリーグという枠組みが決まり、スイスが準決勝と決勝戦の開催国になる可能性まで話し合われた。ところが、このアイデアは経済的な、および事業計画上の問題から実現しなかった。このため、大きな国際大会の提案は1908年のロンドンオリンピックに回され、この時初めて、各国の代表チームの参加が実現し、サッカーの組織(イングランドサッカー協会)が開催を担った。  1912年のストックホルムオリンピック後には、南アフリカ共和国、アルゼンチン、チリ、アメリカ合衆国などヨーロッパ以外の国がFIFAに加盟したこともあり、ワールドカップ開催の機運が再び高まったが、1914年に第一次世界大戦が勃発してそれどころではなくなり、1924年のパリオリンピックと1928年のアムステルダムオリンピックで2大会続けて金メダルを獲得したウルグアイ東方共和国が世界で最も重要なスポーツ大会の初代開催国に選ばれるまで、さらに長い時間がかかった。
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ウルグアイが第1回W杯の開催国になったのはなぜ?
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サッカーはなぜ11人対11人で戦うのか?

知られざるフットボールの歴史100項目

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