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那須川天心、ボクシングデビュー戦から見えた課題とは。試合会場では「珍しい現象」が

対戦相手は「引き立て役になってしまった」

 帝拳ジムの本田明彦会長は「1ラウンドの戦い方が100点満点だったので、そのままでいいと指示した。倒せなかったが、デビュー戦なので絶対に負けられない試合だった。スタミナも心配なかったが、とにかく初めてだから」と話す。  敗れた与那覇の那須川評にも耳を傾ける必要があるだろう。「距離を詰めようとしたけれどできなかった。クリンチもうまく体の強さも感じられた。ヤバい、効いたというパンチは3ラウンドにあったぐらいだったが、(那須川は)パンチの切れで倒すタイプ。吸収力がすごいので、これからKOが増えていくと思う」と試合を振り返っている。  高校時代に全国選抜大会で優勝するなどアマチュアで63戦(50勝13敗)を経験し、プロでも17戦(12勝8KO4敗1分)のキャリアを持つ与那覇に、「情けない。天心選手の引き立て役になってしまった」と言わせたのだから、やはり那須川はタダものではない。

那須川グッズの売り場には長蛇の列

 この日、Tシャツやパーカーなど那須川のグッズ売り場は、試合前から列が途絶えることがなかったと聞いている。その列が試合直後には数十メートルに延びたとも。ボクシングではデビュー戦だったが、言うまでもなく彼はすでにスター選手なのである。  そして、ある程度は予想できたことだが、那須川の試合が終わると一部の観客はその後の世界戦2試合を見ることなく帰途についた。メインの寺地拳四朗(BMB)対アンソニー・オラスクアガ(アメリカ)のWBC、WBA世界ライトフライ級タイトルマッチが壮絶な打撃戦だっただけに、それを見ることなく会場をあとにしたことは残念としか言いようがない。  今後、彼ら、彼女らが那須川を通じてボクシングそのものに興味を持ってくれるよう主催者、そして業界は努力しなければなるまい。幅広い層に抜群の知名度を持ち、高い発信力を持つスター選手の参入は、新しいファンをキャッチするチャンスでもあるのだ。
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いきなり1位にランクされる可能性も
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日本大学法学部新聞学科卒業後の1982年4月、ベースボールマガジン社に入社。「ボクシングマガジン」編集部に配属となり、1988年~1999年まで11年間、同誌編集長を務める。2001年に退社しフリーのボクシングライターになる。以来、20年以上にわたりWOWOW「エキサイトマッチ」の番組構成を担当。そのほか日刊スポーツWeb版などに寄稿。著書は「ボクシング 名勝負の真実・日本編」「ボクシング 名勝負の真実・海外編」(いずれもネコパブリッシング)、「タツキ ~愛とボクシングに生きた男の半生~」(PHP研究所)など
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