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江川卓、掛布雅之、福本豊etc. 昭和プロ野球レジェンドが明かす「絶対に忘れられない一球」とは?

球史には残らない“勝負の綾”が挙がることも

 こうして多くのファンの記憶にも残る名場面が語られることもあれば、コアなファンでなければ思い出せないものの、現役生活を左右した勝負の思い出もレジェンドの口から語られる。  豪快なマサカリ投法から投げ下ろす直球とフォークを武器に、22シーズンもの長きにわたってロッテで剛腕を振るった村田兆治は、自他共ともに好敵手と認めた南海ホークスの主砲・門田博光に痛打されたことで得た“糧”を一球の記憶として語る。 「一九七三年だと思う。フォームも固まってやっと勝てるという自信のついた頃。左バッターの内角低めにいいスライダーが決まれば絶対に打たれないという確信もあった。それで門田博光にスライダーを投げたんだ。投げた瞬間、自信もあった。でもそれをホームランされて試合は負け。やっぱりショックだよ。自信のあるボールを打たれたら、まったく仕事ができなかったことと一緒。それから彼に投げる時はやっぱり気持ちは変わったよね。相手のタイミングを研究してね。どう踏み込んで、腰を入れてくるのか、バットがどこから出てくるのかとか。野球でも人生でも最高級の相手と切磋琢磨するのが大事。張り合いといってもいい。向こうもこっちを研究してきて、一対一の勝負が面白くなっていく」(『一球の記憶』Chapter29 村田兆治 より)  一方、1065盗塁という前人未到の日本記録を持つ福本豊は記憶に残る一球について「うん、ないですねぇ」とあっけらかんと回答。自身の打席でも盗塁でもなく、当時の同僚・今井雄太郎が’78年の日本シリーズでヤクルトのヒルトンに放った“失投”についてユーモアたっぷりに述懐する。そして、本書で登場した多くのレジェンドが「史上最高の投手」と語った伝説の怪物・江川卓も、太く短いキャリアの中で追い求め続けた“一球”について語る。  どんな一球にも、選手たちが抱えるさまざまな思いや駆け引きが込められている。そして、我々ファンはそんな一球が織りなすドラマに一喜一憂する……。そして、それらが数百、数千、数万と絡み合い、一つの試合、一つのシーズン、そしてプロ野球の歴史が紡がれていくのだ。 (文/日刊SPA!取材班)
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