少女マンガ界の神・萩尾望都とマンガ家・水野英子のトークイベントをリポート
マンガのあなた SFのわたし』
70年代、主にマンガやSFをテーマに各界の著名人と萩尾望都が対談した内容が一冊に。著者初の対談集となる。手塚治虫、水野英子、石ノ森章太郎、美内すずえ、寺山修司、小松左京、松本零士ほか、単行本化にあたって羽海野チカとの新規対談も収録(河出書房新社刊/1470円)
取材・文/牧野早菜生
少女マンガ界の神として、読者はもちろんマンガ家からも圧倒的な尊敬を集める萩尾望都が、初の対談集を刊行。刊行を記念して4月7日にスパイラルCAY(東京都港区)で催された、マンガ家・水野英子とのトークイベントの一部をリポートする。
『11人いる!』を筆頭に、それまで少女マンガでは描かれてこなかったSF作品を生み出し、その後の少女マンガの歴史を大きく変えた萩尾望都。そして、少女マンガの草分け的存在として活躍した水野英子。ふたりとも、未知のジャンルを開拓していくには、苦労もあったようで……。
萩尾:対談集に収録されている対談は36年前のものですから、こうして対談するのは36年ぶり。昔の対談を読み返すと、会いたかった作家さんに会えて舞い上がっている様子が伝わってきて、何だか恥ずかしかったです(笑)。
水野:懐かしいですね。私がマンガを描き始めたころっていうのは、女性の作家自体が少なくて、少女マンガも男性が描くことが多かったんですよね。子供が、読んでいて誰だか分からなくなっちゃうからという理由で、キャラクターが朝から晩まで同じ服を着ているのが当たり前で(笑)。
萩尾:私、実際に着たきりスズメだったから、読んでいて違和感がなかったです(笑)。
水野:そもそも「マンガを読むと頭が悪くなる」「想像力の欠如を招く」と、今よりもずっと漫画の評価も低かったですし。
萩尾:でも、他に娯楽もなかったからとても影響力はあった。マンガは子供のためのものでしかなかったのが、中学生、高校生と、どんどん上の世代が読むようになって……。
水野:読者の年齢が上がっていくことで、テーマも徐々に社会性を帯びてきたというか、編集者も試行錯誤でしたね。そんなときに、今までの子供向けのおとぎ話ではなくて、もう少し大人向けの、ちゃんとした「LOVE」を描きたくて描いたのが『星のたてごと』(水野さんの代表作)なんです。今でこそ「ラブコメ」もジャンルとして普通に存在していますけど。大河モノに挑戦しようとしたときには「受けないからダメ」と言われて、随分苦労しました! 萩尾さんは、SFを描くまでは大変じゃなかったんでしょうか?
萩尾:年齢層が高すぎる、という理由でボツになったネタも沢山ありました。でも、たまたま当時の小学館の編集者が「元々SFが好きなんだし、SFものを描いてみれば?」と言ってくれて。それでSF作品を描き始めたんです。私、SFっていうのは現在から未来をシミュレーションするものだと思ってるんです。それこそSFの世界の出来事みたいな、フクシマの原発事故のようなことも現実に起こったりする。常に時間軸が先のことを考えていくことにこそ創作の醍醐味があるんじゃないかな。
水野:私、いつも先のことを考え過ぎて、それで理解されないことも多かったような気がします(笑)。
萩尾:ファンタジーだったり、バトルものだったり、時代時代で人気のジャンルっていうのはどんどん変わっていくし、新しく生み出されていくんですよね。ラブストーリーでも、ひと昔前なら、両想いになってハッピーエンドと言うのが当たり前だったけど、今はそうじゃないですもんね。
水野:マンガって、そうやって住処を見つけていくものなんでしょうね。
3月に刊行された萩尾さんの新刊『なのはな』(小学館)は、フクシマの原発事故をテーマにした短編集だ。フクシマに暮らす少女とチェルノブイリの少女の記憶が交差しながら未来への希望へと繋がっていく表題作。人間の欲望の写し鏡として、擬人化して描かれる放射性物質の物語……。いずれも、ただ目の前にある「現在」ではなく、「未来」が描かれている。まさに創作の醍醐味が詰まった作品といえるだろう。
【萩尾望都】
’49年、福岡県生まれ。’72年より連載が始まった『ポーの一族』は、少女マンガ界の歴史を変える作品として現在も語り継がれる名作。以後、SFやファンタジーなどを巧みに取り入れた壮大な作風で唯一無二の世界観を表現。あらゆる方面から圧倒的なリスペクトを受けている
【水野英子】
’39年生まれ。少女マンガ界の草分け的存在。トキワ荘に居住した紅一点の漫画家でもある。70年『ファイヤー!』で第15回小学館漫画賞を受賞。10年に第39回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞
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『マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都・対談集』 漫画界のオールスター夢の対談 |
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