圧倒的だった“2012年の阿部慎之助”。3割4分、27本塁打、104打点…背景には恩師からの一言が
―[だから、野球は難しい]―
10月22日、オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの橋上秀樹監督の退任が発表された。来季からは巨人の一軍コーチに就任するとの報道もあり、実現すれば旧知の存在である阿部慎之助監督の右腕として豊富な経験を活かすことになる。
ご存じの通り、現役時代は“打てる捕手”としてならした阿部監督だが、2012年に首位打者と打点王を獲得するまで無冠が続いていた。誰もが認める才能を持ちつつ、なぜ打撃タイトルが獲れないのかーーそんな疑問を持っていた橋上氏が、巨人のコーチ時代に直接指導した際のエピソードを『だから、野球は難しい』(小社刊)から紹介する。 ※本記事は同書より抜粋し、適宜編集を加えたものである
阿部慎之助は、高い技術がありながら打撃タイトルに縁がなかった
自身の限界を決めつけてしまっていた?
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1965年、千葉県船橋市出身。安田学園高から83年ドラフト3位でヤクルトに捕手として入団。その後、97年に日本ハム、2000年に阪神に移籍、この年限りで引退。 05年に新設された東北楽天の二軍外野守備・走塁コーチに就任し、シーズン途中で一軍外野守備コーチに昇格。07年から3年間、野村克也監督の下でヘッドコーチを務めた。11年にはBCリーグ新潟の監督に就任。チーム初となるチャンピオンシップに導き、この年限りで退団。12年から巨人の一軍戦略コーチに就任し、巨人の3連覇に貢献。また、13年3月に開催された第3回WBCでは戦略コーチを務めた。巨人退団後は、楽天と西武での一軍コーチを経て、19年にヤクルトの二軍野手総合コーチを務め、21年から24年まで新潟アルビレックスBCの監督を務めた。
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