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アフリカへの中古車輸出業撤退から中古車買取り事業に転換したハッピーカーズ・新佛社長「今思えば、好き勝手に生きることに一生懸命だった」

◆「まずは湘南から中古車ビジネスで一番になろう」

 ゼロからのスタートを切るために日本に帰ってきた新佛社長。なぜアフリカでの中古車輸出業は失敗したのか? 「アフリカでのビジネスが失敗した原因はたくさんありますが、中でも特にネックになったのは、英語ができなかったことです。日本語でも商売を進めていくにはコミュニケーションが大事なのに、最低限の意思疎通もできなかった僕が海外で、しかも現地の人を相手に商売するのに、英語ができなければ話になりません。 『グローバル』という甘美な響きに目がくらんでいたのかもしれません。だから、いったんゼロに戻ってアフリカから日本へ帰り、これから一体、何をやって稼いでいこうと考えたとき、まず頭に浮かんだのは『身のほどを知る』ということでした」  もっと勝算が見込めるところはどこか? そう自問するうちに、自ずと答えが決まった。 「当然、日本です。 かつ家の近所。ここならナンバーワンになれる。大好きな湘南という街をベースに勝負すれば、きっと誰にも負けない。湘南で一番になろう。『湘南で中古車ビジネスといえば、新佛くんのところが一番だね」と言われるようになってやろう。こうしてビジネスのテリトリーを決めました」

◆中古車オークションは「高く仕入れる場」だと気づいた

 中古車輸出業とは「オークションで中古車を仕入れ、海外に販売する」ということだが、うまくいかなかった決定的な理由を次のように分析した。 「『安く仕入れられないから、利益を出すことができなかった』ことに尽きます。オークション会場で買うということは、どの業者よりも一番高く仕入れることにほかなりません。  それなら、オークションを仕入れの場ではなく、売り場と考えてみてはどうだろうと逆転の発想をしたんです。  それからというもの、とにかく『車を買います』と家族をはじめ、知人、友人、近所の人などに声をかけまくりました。最初は相手にされませんでしたが、割とバカになって同じことを言い続けていると、不思議なもので『じゃあちょっとうちの車見てよ』と自然と声がかかるようになりました」  せっかく声をかけてもらったのだから、がっかりさせるわけにはいかないと、とにかく他社の買取り額や下取り額より徹底的に高い価格を提示していったという新佛社長。 「僕は自分にとってなじみ深い湘南という街で、この仕事を始めようとしている。つまり、自分が儲かれば、地域も儲かる。このことをベースに考え続けるうち、『車を通じて、関わる人すべてを、ハッピーにしていく』という自分のやるべきことや、事業の柱としての理念が見えてきたのです。  このときはまだ『ハッピーカーズ』という名称は決まっていませんでしたが、自然と『ハッピー』という言葉が頭に浮かんできました。この理念から『クルマ買取りハッピーカーズ』という会社名が生まれたのです」
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振り返ると「好き勝手に生きる」ことに一生懸命だった
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1973年生まれ。作家。実業家。投資家。サンライズパブリッシング株式会社プロデューサー。経営者を成功に導く「成功請負人」。富裕層のコンサルタントも行う。著書も多数。『幸福の商社、不幸のデパート』『「成功」のトリセツ』『富豪作家 貧乏作家 ビジネス書作家にお金が集まる仕組み』などがある。

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クルマ買取り ハッピーカーズ物語- クルマ買取り ハッピーカーズ物語

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