タイに移住した日本人女性が見つけた「豊かな暮らし」一軒家で家賃は約4万4000円、調味料や洗剤は“自家製”で
このまま、日本で暮らし続けていけるのか——。物価高や円安、不安定な社会情勢の中で、日々の生活や将来に不安を抱える人は少なくない。
だが、そんな状況にただ流されるのではなく、自らの暮らしを根本から見直そうと動き出す人々もいる。大阪出身の牧野恵子さんも、その一人だ。
2011年、東日本大震災をきっかけに家族とともに日本を離れ、現在はタイ北部・チェンマイで「NEO食堂(Neo Shokudou Aeeen Japanese Vegan)」という小さな食堂を営んでいる。
牧野さんのこれまでの歩みと、食を通じた価値観の変化、そしてチェンマイで見つけた「地に足のついた暮らし」について話を伺った。
「母を早くに亡くして、私を育ててくれたのは韓国・チェジュ島出身の祖母でした。祖母の料理は毎日同じようで、毎日違っていたんです。具が変わるスープに麦ごはん、それに漬物だけ。ものすごく質素だけど、不思議と飽きなかった。これが、今の私の料理の根っこにあります」
10代の頃には洋食に惹かれた時期もあったというが、結局はこの原点に戻ってきた。牧野さんは豚や牛は食べず、植物性素材を中心にした自分なりの食のスタイルを確立してきた。
「子どものアレルギーがきっかけで発酵調味料に興味を持ちました。時間をかけて丁寧に作ったものは、ちゃんと身体に届くんだと実感して。酵素ジュースや手作り味噌、麹、豆腐……全部に“発酵”の力を取り入れてます。野菜はもともとあまり好きじゃなかったんですが(笑)、どうやったらおいしく食べられるか考えるうちに、自然と料理の工夫が深まっていったんです」
転機となったのは、2011年の東日本大震災。当時、ちょうど下の子が生まれたばかり。育児と将来への不安が重なり、「このままでいいのか」と考えるようになった。
「そんな中、旅行で訪れたタイで『ここならもっと自由に、柔らかく生きられるんじゃないか』と思ったんです。都会だけれど、少しソイ(小道)を入ると不思議と西成に似た空気があって、安心できたんですよね。最初はバンコクも考えたのですが、やっぱり都会すぎて、息が詰まりそうで……。気づけば子どもを連れてバックパックでチェンマイに来てました」
仕事も収入もない状態でのスタートだったが、「なぜか“なんとかなる”という根拠のない自信があった」と笑う。最初は子どもが現地の幼稚園を嫌がり、毎日泣いていたという。
「年中になるころには少しずつ言葉がわかるようになって、次第に元気に通うようになりました。サッカーを始めてからは学校が大好きになって、今ではスポーツ推薦で新しい中学校に通っているんです。すっかりタイ人のようですね(笑)」

牧野恵子さん

NEO食堂
原点にある、祖母の質素な料理

人気のおばんざい盛り合わせ定食は350バーツ(約1500円)

自家製の調味料も販売する

お客さんが必ず頼むという人気の酵素ジュース
東日本大震災がもたらした転機
東京都出身。20代を歌舞伎町で過ごす、元キャバ嬢ライター。現在はタイと日本を往復し、夜の街やタイに住む人を取材する海外短期滞在ライターとしても活動中。アジアの日本人キャバクラに潜入就職した著書『底辺キャバ嬢、アジアでナンバー1になる』(イーストプレス)が発売中。X(旧Twitter):@ayumikawano
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