宮古島からタイへ、“二度の移住”を決断した60代男性の紆余曲折「人生はいつでもやり直せる」
日本社会で求められる“正しさ”や“責任”に押しつぶされそうになり、どこかで人生をやり直したい――。中年以降になって、そう願う人は少なくない。
長野県で公務員として勤めたのち、宮古島での民宿オーナーを経て、66歳でタイのパタヤへ移住した山本秀泰さん(仮名)。
今回は、彼が50代で選んだ「第二の人生」、さらに60代で選んだ「第三の人生」を紹介する。
長野県松本市で生まれ育った山本さん。家族も親族も“ほぼ全員が公務員”という家系で、子どもの頃から「長男の自分は地元に戻り、安定した仕事に就くものだ」と自然に思い込んでいたという。
大学は関西の外国語大学へ進んだが、就職は両親の希望どおり地元の長野に戻り、公務員として働く約束をしていた。
「長男なんだから必ず帰ってくるようにと言われていましたし、当時はその言葉に逆らう気持ちもなかったです。ただ、僕が大学を卒業する頃になると、地方では長男や家族が有利に採用されることもあった昔ながらの慣習が急になくなったんです。制度としての世襲ではないのですが、親の口利きなどで就職するのが当たり前だった環境が変わったんです。結局、長野県の県立病院の団体職員として就職しました」
26歳で大学時代の後輩の女性と結婚したが、子宝には恵まれなかった。そして32歳の頃、病院勤務中に突然、パニック障害を発症した。
「昼ごはんを食べていたら突然、意識がフッと遠のいて……病院で検査しても異常はなかったのですが、その後、パニック障害と診断されました。仕事は充実していましたが、知らないうちにストレスが溜まっていたのかもしれません」
それから3年間は、飛行機にも乗れず、人混みにも入れない日々が続いた。そんな何もできない状況だからこそ、色々挑戦してみようと思ったという山本さん。
ちょうどその頃、仕事の縁で知り合いが経営していた無認可保育園を手伝わないかと誘われた。病気によって机に向かってする仕事に集中できず、またいつ発作に襲われるかという不安から逃れられるかもしれないという思いから転職を決意、病院を退職した。
「最初は専務として任されていましたが、園の運営そのものを担う立場になりました。当時の松本市長が高校の先輩という関係もあり、補助金の相談をしたところ、『補助金は出すけれど、ビルの中じゃなくて土地を買ってちゃんとした園をつくれ』と言われたんです。そこでキャベツ畑を借りて園舎を建てました。外で泥遊びもできて、子どもたちにも親御さんに喜ばれましたね」
当時から、人が喜ぶことをするのが好きだったと語る山本さん。そんな山本さんが沖縄移住に興味を持ったきっかけは、ダイビングで初めて訪れた宮古島だった。
「35歳で病気克服対策のひとつとしてダイビングライセンスを取得し、宮古島に潜りに行ったときに海の美しさに衝撃を受けたのです。また、島の人たちの素朴な優しさにも触れ、『いつか宮古島で民宿をやりたい』と考えるようになりました」
しかし、現実は簡単ではなかった。38歳のときに妻の父が末期がんで倒れ、妻の家業を継いでほしいと頼まれたのである。保育園の運営は園長に任せ、山本さん夫妻は長野から大阪に拠点を移した。
「大阪は関空が近かったので、宮古島に通いやすくなったんです。そこからは毎年、夏は釣り、冬はゴルフ、ダイビングに通いました。でも実際の移住は自分の両親も高齢だったこともあり、どうしても踏み切れませんでした」
公務員一家に生まれ…

山本秀泰さん(仮名)
突然、パニック障害に…

若いころ(本人提供)
東京都出身。20代を歌舞伎町で過ごす、元キャバ嬢ライター。現在はタイと日本を往復し、夜の街やタイに住む人を取材する海外短期滞在ライターとしても活動中。アジアの日本人キャバクラに潜入就職した著書『底辺キャバ嬢、アジアでナンバー1になる』(イーストプレス)が発売中。X(旧Twitter):@ayumikawano
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