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甲子園もプロも夢見なかった石毛宏典の原点。常勝西武のリーダーを産んだ「野球が弱い進学校」

 1980年代から90年代にかけ、圧倒的な強さでプロ野球界を席捲した黄金期の西武ライオンズ。常勝軍団を類まれなリーダーシップで牽引したのが石毛宏典だ。  意外なことに、甲子園出場やプロ野球選手を目指すことは一度もなかったという。なぜ、石毛はプロの道へ進むことになるのか。大きな転機となった高校時代のことを振り返ってもらった。
西武 巨人 日本シリーズ

篠塚氏(写真中央)とは、プロ入り後も日本シリーズで対戦 ©産経新聞

高校は強豪校ではなく進学校へ

「中学校(旭二中)では野球部でしたが、高校で野球を続けるつもりはなかったんです。ただ、野球部顧問の鷺山(さぎやま)先生から『高校でも野球をやれ』と言われて。抜群に強かった銚子商業を薦められるかと思いきや、『市立銚子へ行け』と。『え、あんなに野球が弱いところへ?!』って思いましたよ。頭のいい進学校でしたしね。  実は当時の市立銚子は、野球部を強くするために有望な生徒を集めようとしていたんです。鷺山先生と市立銚子の矢部監督が親しい間柄だったこともあり、旭二中の有望株として自分の名前が挙がったんだと思います」  石毛は、市立銚子の工業化学科へ進学。同科の生徒のうち約13名が野球部に所属していたという。 「普通科に入ると学年が進むにつれて勉強が忙しくなり、みんな部活を辞めてしまうんです。野球を続けるため、工業化学科に進学したようなものでした。ただ、あまり強くなかったですし、甲子園出場なんて1ミリも想像できませんでしたけどね。かたや銚子商業は選抜(選抜高等学校野球大会)にも出場していた強豪。『野球は銚子商業に任せればいい』という雰囲気でした。  高校卒業後も野球を続けようという気はなく、就職するつもりでした。高校2年時に花王石鹸(現・花王)や武田薬品工業、大日本印刷の工場見学に行きましたし、市立銚子の卒業生が花王石鹸でハンドクリームを開発していたこともあって、『先輩の後に続けるように花王石鹸に入ろう』と決めていたんです」

理不尽に殴られたから、野球は好きじゃなかった

 高校卒業後は社会に出て働くという明確な目標を持っていたうえに、そもそも野球に対して良いイメージを持っていなかった。 「元来、野球はあまり好きじゃなかったんです。中高の野球部では事あるごとに殴られ、殴られ、『何なんだよ……。野球なんて面白くないじゃん』みたいな気持ちはずっと持っていましたから。いま振り返ってみても、よく続いたよなと。練習は厳しく、理不尽なこともありましたし、部員がどんどん少なくなっていきましたが、最後まで自分は残ったわけですから。  毎朝、自宅から旭駅まで自転車で約20分、旭駅から銚子駅まで電車で約30分、銚子駅から学校まで歩いて約20分。帰りは夜9時くらいの電車で帰宅するのがルーティーンでした。名門校や強豪校ではなかったので朝練はなかったのですが、それでも練習の疲れからか昼間は眠くて、授業中はほとんど寝ていました」
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後に甲子園で優勝する銚子商業に惜敗
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千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界を経て起業。「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ・ニュース系メディアで連載企画・編集・取材・執筆に携わる。X(旧Twitter):@buhinton
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