西武黄金時代のキャプテンが考える“野球脳”が優れた選手の正体「城島健司や元木大介が良い例」
1980年代から90年代にかけ、圧倒的な強さでプロ野球界を席捲した黄金期の西武ライオンズ。常勝軍団を類まれなリーダーシップで牽引したのが石毛宏典だ。
勝ち続けることができた要因を紐解くため、チームリーダーとして重視していたこと、いい指導者と出会うことや教育の重要性などを語ってもらった。

チームリーダーには、統率力や判断力、決断力、責任感などさまざまな能力が求められる。長らく西武を牽引した石毛は何を重視していたのだろうか。
「大前提として、裏表がない人間であること。真っ当に生きている人間であることが重要だと思います。どんなに良いことを言ったとしても、『なんで、あの人に言われないといけないんだ』と思われたら意味がないです。『ああいう生き方をしている人に言われたら、何も言い返せない』と相手に認めさせられるくらいじゃないといけません。
あと、自分の場合は群れませんし、人に何かをお願いすることも、頼ることもないです。一人でも生きていける自信があれば、自分の意見をはっきりと言えますし、相手にへつらうこともないです。人間力と言えばいいのかはわかりませんが、芯があるというか、頑固な部分はあったほうがいいと思います」
石毛はチームを束ねながら、通算打率.283、236本塁打、847打点、243盗塁をマーク。一流の技術を走攻守で発揮した。打つほうも守るほうも、一定の型を持っていてそれが崩れなかった。バッターボックスにいる時の頭の中はシンプルだったという。
「心がけていたのはタイミングです。ピッチャーの一番速い真っすぐにタイミングを合わせて打ちにいっていましたし、変化球でもタイミングが合えば打っていました。要はタイミングさえ合えば、バットを振り出せるんです。
ピッチャーはバッターのタイミングをずらすために、曲がり球や落ち球を投げたり、間をとったり、投球のモーションをずらしたりするわけで、バッターに考えさせるのがバッテリーの仕事です。バッターはなるべく考えない方がいいのですが、一球一球に間があるので考えさせられてしまう。そこがバッターの弱さかなと思っています」
当時の西武は個々の能力はもとより、一人ひとりがチームの戦術を深く理解し、試合の流れを読む状況判断力にも長けていた。
「野球脳などと言われたりもしますね。自分で言うのもなんですが、私は比較的にそういった能力があったのかもしれません。ソフトバンクやメジャーでもプレーした城島健司なんかもその部分に長けていました。彼はあまり足が速くないのですが、スーっと盗塁をしてしまうんです。ピッチャーが完全に投球モーションを盗まれ、キャッチャーは間に合わないと判断し、送球すらできない。キャッチャーが投げないのが一番良い盗塁ですから。こういうことって、教えられないものなのかもしれません。
巨人にいた元木大介も状況に応じたバッティングが上手かったですし、相手が嫌がることを率先してやっていましたね。だからこそ“くせ者”と言われたんでしょうけど。ただ、彼が現役の時に言ったことがあるんです。『なんで、もっと普通に打たないの?』と。『なんでですか?』って聞いてきたから、『方向を決めて打ったりするのはいいんだけど、たまに窮屈な感じの不自然なスイングをしたりしているよな。もっと素直に振れよ。プロの右のバッターで、お前が一番いいスイングをしてるんだよ』と言ったんです。
『え、そうなんですか?』って驚いた顔をしていたから、『そうだよ。俺はお前のバッティングが一番好きだな。理にかなっていると思う』と伝えました。足が遅くても盗塁ができる。体が細くてもホームランが打てる。小柄でも速いボールが投げられる。野球脳の話から飛躍してしまいますが、そういうことができる選手はセンスがいいんです。西武でチームメイトだった東尾修さんや工藤公康もそうだと思いますし、長嶋茂雄さんなんかもそうだったんじゃないですか」

ダイエー時代の工藤公康氏と城島健司氏 ©産経新聞
走攻守で結果を残した背景にあるのは…
“野球脳”が優れていた、城島と元木
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界を経て起業。「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ・ニュース系メディアで連載企画・編集・取材・執筆に携わる。X(旧Twitter):@buhinton
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