「吉本新喜劇」で初の関東弁を話す座員に。40代中盤で大阪移住を決意し、「東京に帰れ」という声を乗り越えるまで
60年以上の伝統を持ち、現在は年間で100万人近い観客を集めテレビでも放送されている「吉本新喜劇」。 まさに、関西が誇る巨大コンテンツだが、2020年に「初の関東弁を話す座員」として千葉公平(50歳)さんが加入した。
関東で育ち、40代半ばにしてバイト生活に追い込まれていた芸人が、前例のない方法で再起を図った。 それがなぜ新喜劇だったのか? 文化の違いに直面したことはあったのか? 本人を直撃した。

――千葉さんは、1996年に同級生の関暁夫さんとともに吉本興業の養成所NSCに東京2期生として入学。「ハローバイバイ」や「ギンナナ」というコンビで活動をしてきました。同劇場への吉本新喜劇入りは、唐突にも感じますが、どんな経緯があったんですか?
千葉:大阪に移る前、ギンナナでの活動も10年が経っていたんですが、お世辞にも調子が良かったとは言えなくて。40歳を過ぎてバイトしないといけなくなって「人生どうするんだよ」と絶望しかけていましたよ。
――自分の将来を改めて見つめないといけないと。
千葉:「吉本に大した儲けをもたらしてないくせに」と思っていたんですが、あらためて振り返ると「自分は組織に認められるようなことができていたのか?」と自問自答してしまい……。「前人未到の分野は何だろう」なんて考え始めたわけです。
――数ある選択肢から、なぜ新喜劇だったんですか?
千葉:間寛平師匠と池乃めだか師匠のやりとりを袖で見させてもらった際に「この年齢で、ここまで爆笑をとれる化け物がいるのか」と衝撃を受けたことがあります。その後、石田靖さんが東京でコントライブをやるときに参加させていただき、新喜劇的なノリのあるコントを経験しているうちに、大阪もいいなとぼんやり思い始めました。
――ぼんやりが、どう「決意」に変わっていくんですか?
千葉:野性爆弾のくっきー!さんがきっかけですよ。
――どんなきっかけでしょう?
千葉:僕が趣味で盆栽の写真をInstagramにアップしていたんですが、くっきー!さんが喫煙所で「盆栽、ええなぁ」と声をかけてくれて。「大阪の古民家が安いから、そこ借りて盆栽の配信したらええやん! 大阪行け!」と突然言われたんです。
――千葉さんが大阪移住を考えていることを知っていたんですか?
千葉:いえ、誰にも言っていなかったのでドキッとしましたよ! 内々に初めて、大阪行きを考えていることを話したら、いつもふざけているくっきー!さんが、大真面目に「面白いと思ったら、すぐ動け!」と言ってくれて、そこで決心したのです。
――アツいですね! 他に相談した芸人さんもいますか?
千葉:相談ではないんですが、小籔(千豊)さんに新喜劇に入りたい気持ちは伝えました。そして「いつかは、腕があるけどくすぶっている東京の芸人を集めて、東京に新喜劇のような場所を作りたい」と。
――それに対して小籔さんは?
千葉:「新喜劇は大阪だけのもんや! 変なフランチャイズ作らんでくれ!」と厳しい返答で。でも「新喜劇を研究するのは、お前の自由や。骨を埋める覚悟でおいでや」と言っていただきました。

千葉公平さん
40代にて挑戦を決意した経緯
大阪移住を決めたくっきー!の一言
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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