元相方は「Mr.都市伝説」関暁夫。13年続けた「ハローバイバイ」が解散した理由。現在は「関の連絡先も知らない」
関西のビッグコンテンツ「吉本新喜劇」で、「初の関東弁を話す座員」として活躍する千葉公平さん(50歳)。
彼は自身を「『じゃないほう芸人』の元祖だと思います」と称する。 彼はかつて、「ハローバイバイ」というコンビで東京で活動。相方は、Mr.都市伝説として知られる関暁夫だったのだ。
コンビとして混迷していた時期に、相方が一人で売れていった芸人の思いと振る舞いとは? 千葉本人に語ってもらった。

――ハローバイバイは1996年に結成。相方の関暁夫さんが注目を集めたのが、『やりすぎコージー』(テレビ東京)で2005年に放送された「芸人都市伝説」ですね。コンビとしての当時の状況はどうだったんですか?
千葉公平(以下、千葉):直前に、さまぁ〜ずさんが司会の『新すぃ日本語』(TBS系列)という番組に出させてもらってコントもできていたので、「ここからいくぞ!」という感じだったんです。
――東京03・フットボールアワー・友近など、のちに売れる若手芸人さんが多く出ていましたね。
千葉:チャンスをものにする前に番組が終わっちゃって。何かしら動かないいけないタイミングで、関はずっと好きだったオカルト方面の活動をしはじめました。
――結果、関さんは一躍人気者になりますが、相方として悔しさはなかったですか?
千葉:特になかったですよ。僕もまだ20代で若かったし、あまり色々考えるタイプではないので。なので、むしろ「僕も自由に好きなことができる」ぐらいに感じていました。
――焦りもなかったですか?
千葉:ないです。ただ、僕はお笑い番組に出てネタやお笑いがやりたかったので、関が都市伝説にどっぷりになっていくのを見て、「ちょっと方向が違うな」と感じ始めるようにはなりました。 それに、自分の中では自由になったと思っていても、世間的には「じゃない方」という扱いにはなっていました。当時は、まだそんな言葉もなかったですけどね。
――『アメトーーク』(テレビ朝日系列)で、「○○じゃない方芸人」という回が最初に放送されたのは、それより4年後の2009年ですからね。
千葉:ゆえに、僕は“元祖”じゃない方芸人かもしれないと思うのですよ。
――それまでは、コンビ間の絆は盤石だったんですか?
千葉:いえ、ネタ作りで関係が崩れました。当初、関が「ネタを書く」ところから始まったんですが、行き詰まった時期がありました。煮詰まると関にイライラをぶつけられたりして、雰囲気はよくなかったのです。
――どんな風にぶつけられるんですか?
千葉:「お前がネタ書いてこいよ」みたいになって。それで実際、僕もネタを書いて持っていくんですが、1ページ目を見ただけで「こんなの面白くない」って突き返されたりして。まぁ、それは僕の台本が本当に面白くなかっただけかもしれませんけど(笑)。 それで、コンビ継続に対する気持ちはキュッとしぼんだ感じはありますよ。
――それで、関さんのピンの仕事が増えても「自由だ」と感じたのかもしれませんね。
千葉:コンビって、一方が舵取りをしてもう一方がそれに乗っかるような関係性も多いんです。関には関で船長としての苦労があったのだと思います。僕は僕で方向性に対して不満があったりしました。だから、関が都市伝説の方に行って僕もピンで活動すると、自分自身での舵取りができるから自由を感じたのです。
――それぞれがピンで活動を始めると、気持ちのズレが起きてくるんじゃないですか?
千葉:そうですね。お互い、別々に思うところはありましたよ。
――関さんがあれだけ売れて、その影響で入ってきたコンビの仕事もありましたか?
千葉:チラホラありましたね。関は、それは気に食わなかったみたいです。「俺の成果なのに」といった話は何度かされました。「お前のおかげで、テレビに出られる。ありがとう!」って感じだったんですが。

千葉公平さん
相方が先にブレイクするも焦りはなかった
ネタ作りで生まれた、コンビの亀裂
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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