恋愛・結婚

ひとりぼっちの屋上で、僕の心は曇り空 『五十年目の両想い』/新堂冬樹

【これまでのあらすじ】 人気者の真理亜は、いつだって引く手あまただった。帰郷する豊の胸に去来したのは、二人で出かけたのに一人で帰るはめになった歯がゆい出来事。だんだん距離感が変化しはじめた中学時代を経て、高校に進学した豊を待っていたのはーー 【主な登場人物】 豊(ゆたか)
五十五歳。児童文学出版社「童夢ファクトリー」社長。穏やかで争いを好まない性格。五十年前に抱いた初恋を、いまも胸の奥にしまい続けている。 真理亜(まりあ)
豊の幼なじみ。明るく自由奔放で、いつも豊を振り回してきた”太陽のような少女”。豊にとって、決して忘れられない存在。 白川美沙(しらかわ・みさ)
「童夢ファクトリー」編集長。豊の元部下で、令和世代らしい感性を持つ仕事のパートナー。歯に衣着せぬ物言いで豊を翻弄するが、その姿はどこか真理亜を思い出させる。 五十年目の両想い           

3-1 1988年 高校二年夏

 昼休み時間——弁当を食べ終えた豊は、屋上からぼんやりと校庭を見下ろしていた。  二年前の合格発表のときに、豊は怖くて眼が開けられなかった。  眼を開けて自分の番号がなかったら……と思うと怖くて仕方がなかった。  真理亜の第一志望の長崎南陽高校は県でも有数の進学校で、国立大学への高い進学実績を誇っていた。  中学二年の夏休みが終わったあたりから、豊の胸は不安に押し潰されそうになっていた。  五歳の頃に出会って、小学校、中学校とずっと一緒だった真理亜と初めて離れ離れになるかもしれないという不安だった。 『あんた、どうしちゃったの? 頭でも打った?』  豊が初めて志望校を伝えたときに、母から一笑に付されてしまった。 『真理亜ちゃんと一緒の高校に行くんだ』 『真理亜ちゃんは学年でもトップクラスでしょうに。中の下のあんたが、入れる高校じゃないから。無理無理!』  母は本気に受け取らず、豊をあしらい続けた。 『僕は本気だよ』   真理亜と別々の高校になるなど、豊には考えられなかった。 『もう、冗談はそのへんにしておきなさいよ。中学浪人したくないなら、現実的な志望校にしなさい』  それまで笑っていた母が、真顔になった。 『なんで落ちるって決めるの!? 受かるかも知れないじゃないか!』  豊はムキになって反論した。  両親にたいして反抗したのは初めてだった。  図星を突かれてイライラしていた。  母に言われなくてもわかっていた。  担任教師からも、長崎南陽高校より2ランク下の高校を志望するように勧められていたのだ。 『わかるわよ! あんたの成績で受かるわけないでしょ!』  豊が本気だとわかると、母も本気で怒り出した。 『まあまあ、いいじゃないか。せっかく豊がやる気になってるんだから』  晩酌していた父が、助け船を出してくれた。 『なに言ってるのよ。この子は真理亜ちゃんと一緒の高校に行きたいだけで、夢みたいなこと言ってるだけなんだから』  母が呆れたように言った。 『好きな人と一緒の高校に行きたい。この子らの年頃からすると、一生を左右するくらいの切実な問題だよ。僕達も、そういう時代があっただろう? いまここで止めて生涯後悔するより、成功しても失敗しても思い切り好きにやらせてあげようじゃないか。なあ?』  父が大らかな笑顔を豊に向けた。 『あなたが甘いから、この子がこんなふうにお人好しになるのよ。そもそも真理亜ちゃんのために中学浪人のリスクをおかしてるけど、恋人でもなんでもなくて豊の片想いなのよ。もう、情けない。あんたも小学生じゃないんだから、いつまでも真理亜ちゃん真理亜ちゃんって金魚の糞みたいにしてないで、自分の道をみつけなさい』  母がため息交じりに言った。 『真理亜ちゃんと一緒の高校に行くのが、僕の決めた道……』 『いい加減にしなさい! いつまでそんなこと言って真理亜ちゃんにくっついているつもり!? 将来、真理亜ちゃんと結婚するつもりでいるわけ!?』  母が厳しい口調で豊を問い詰めた。    もちろんだよ!  豊は心で即答したが、口に出すことはできなかった。  その思いが自分の一方通行であるということを、誰よりも豊自身が一番わかっているからこそ母に言えなかった。 『恋愛は片想いしている間が一番ときめくとも言うしね。成就したら、意外とつまらないものさ。旅行もさ、到着するまでが楽しいものだろう?』 父が、ふたたび助け船を出してくれた。 『あら、じゃあ、あなたは私と結婚してつまらなくなってるの?』  母が父を睨みつけた。 『え? いや、それは違う……おい、豊、今度はお前が父さんを助ける番だぞ』  父が胸前で両手を合わせた半べそ顔で、豊に泣きついてきた。 豊は思い出し笑いした。 せっかちで気の強い母には、よく叱られた。 そういうとき、いつも擁護してくれたのが父だった。  父の援護射撃もあり、豊は奇跡を起こした。   『あったよ! 豊ちゃんの番号!』  真理亜の声で、豊は恐る恐る眼を開けた。  張り出された紙に自分の受験番号が載っているのを確認しても、豊は合格したことが信じられなかった。  夢かどっきりカメラなのではないかと、真剣に疑ったほどだ。 『よかったじゃん!  また、真理亜と一緒にいられるよ!』  真理亜の言葉に、ようやく豊の胸に実感が湧いてきた。  八時間の勉強を一日も欠かさなかった。  真理亜にもマンツーマンで教えてもらった。  受験当日までの一年数ヶ月は、一生分の勉強をしたといっても過言ではなかった。 『ありがとう。真理亜ちゃんのおかげだよ』 『そうよ! 私だって自分の受験勉強を犠牲にして、豊ちゃんに協力したんだからね。感謝してよね! なに奢ってもらおうかな~』  もちろん、勉強を教えてくれたことへのありがとうもあった。  だが、一番のありがとうは真理亜の存在自体だった。  彼女がいたからこそ、奇跡を起こせたことを豊は知っていた。  真理亜の存在が、豊の能力を何倍も発揮させてくれた。  どこかから飛んできた赤い風船が、上空を舞っていた。  「なんか、僕みたいだな……」  豊は赤い風船を視線で追いながら呟いた。    血の滲むような努力の結果、母にも担任にも絶対に無理だと言われた進学校に入学できた。  念願の真理亜との高校生活を送ることができた。  クラスが別になったことは中学でも同じだったので、たいした問題ではなかった。  問題は、真理亜と一緒にいる時間が少なくなったことだ。  中学までは、昼休みと登下校はほとんど一緒だった。  だが、高校生になって……正確に言えば二年生になってから、真理亜と行動を共にする機会が減った。  といっても、登下校のどちらかは一緒だったので毎日顔は合わせている。  それでも、小、中の頃に比べると一緒にいる時間は少なくなった。  理由ははっきりしていた。  三ヶ月前のバレンタインデーで、豊の高校生活は色を失った。  真理亜は、手作りのチョコレートを渡した佐野宅麻と交際していた。  佐野は真理亜の隣りのクラスで、野球部のエースで四番だった。  真田広之似の美男子でクラス委員長を務めており、どう逆立ちしても豊に勝ち目はなかった。  一年から三年の女子の間で、佐野のファンクラブみたいなものもあるほどの人気者だ。 『悔しいけど、あの二人、お似合いだよね』 『二人とも成績優秀で顔もいいしさ』  真理亜と佐野を噂する声は、ガラス片のように豊の胸に刺さった。 「せっかく、頑張って合格したのにな」  上空に漂う赤い風船……当てどなくさまよう風船に、豊は自らの境遇を重ねていた。 「竹井君」  女子の声に、豊は振り返った。 小説家、実業家、映画監督。1998年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無間地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『虹の橋からきた犬』『そのヘビ、ただのヒモかもよ!』『シン人間失格』など、著書多数。芸能プロダクションも経営し、その活動は多岐にわたる。