売れない芸人から“年間330本”の司会者へ。コンビ解散後に「一人でできる仕事」で天職を見つけるまで
年間330本ものイベントで司会を務めたことがあるという司会者・シャバダバふじさん。アイドルやグラビアアイドルのリリースイベントをはじめ、映画やアニメなど、数々の現場でマイクを握り、現在は司会業だけで生計を立てている。

そんな彼の原点は、お笑いだった。M-1グランプリへの挑戦を経て上京し、吉本所属の芸人になるも、なかなか売れない日々。コンビ解散を機に「自分一人でできる仕事」として選んだのが司会だった。芸人としてもがいていたふじさんが、いかにして司会を仕事にしていったのか。その半生を聞いた。

現在の肩書きは司会者だが、元々は吉本所属の芸人だった。シャバダというのは昔のコンビ名で「カンニング竹山さんみたいな感じです」と笑う。
「中学の作文でナインティナインの矢部さんのツッコミをテーマにするくらいお笑いマニアでした」
幼馴染と「ハイテク」というお笑いトリオを組み、中学の卒業式でコントを披露して大ウケ。高校3年生の時に1人抜けてしまい2人組のコンビになったが、それでもプロのお笑い芸人として売れることを目指した。
「高3の時、ちょうどM-1グランプリが始まったんです。地元・広島のNSCの予選の締切は終わってて調べたら東京はまだ間に合ったので、新幹線に乗って受けに行きました」
一次予選を通過し、再び新幹線で二次予選を受けるも残念ながら敗退したが、「達成感があった」という。そのまま上京し、念願のNSCに入学するも「ダレてしまった」とふじさんは当時を振り返る。
「色々となぁなぁになってしまったんです。お笑いをやりに来たのか、遊びに来たんだかってくらいでした。高校時代に恋愛とか青春を満喫してこなかった反動なのか、遊び呆けてしまいました」
あっという間に1年が経ち、相方と共にNSCを卒業。ここで転機が訪れる。
「コンビって恋愛と一緒なんですよね。同期で『この人と組みたい!』って強烈に思う人を見つけてしまった。僕の6歳上で、兄弟コンビを組んでいた通称お兄ちゃん。彼を口説いて、元相方に謝って、コンビを解消して結成したのが“シャバダバ”です」
その後、シャバダバとして吉本に所属したが、活動は「うんともすんとも」という状態だった。作家さんに月に1回ネタを見せる以外は、ほぼバイトをしているフリーター状態だったんだとか。
「自分のことを『お笑い芸人です!』なんて恥ずかしくてとても言えなかったですね。それで仕事がないから同期と集まって代々木公園でストリートライブをしたり、エハラマサヒロさん達と集まって『嗚呼!爆笑神』というインディーズライブをやったりしていました」
このライブでは出演者が順番でMCを担当していったそうだが、当時からふじさんの司会には定評があったそうだ。
「確かに学生時代から台本なしで場を仕切るのは得意だったので、それが活きているなぁとは思いました。でも、ライブの場数をいくら踏んでも仕事は増えない。売れた同期のビラを折りたたんだりすることもあって……すごく悔しかったです」
努力では縮まらない差にシャバダバは「辞めよう!」と吉本に退所の相談をする。所属芸人が多い吉本ではフェードアウトする芸人がほとんどだったそうだが、2人はきちんと筋を通した。その理由はーー。
「うちらは売れると思っていたし、“シャバダバ” の名前を使いたかったんです。怒られるどころか『お前らえらいな』って褒めてくれました。お世話になった作家さんは『他事務所行って売れろよ!そこで俺を使ってくれ』と言ってくれて嬉しかったです」

シャバダバふじさん
上京してNSCに入るも「お笑いをやりに来たのか、遊びに来たんだか」

ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。著書に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)、『現役底辺グラドルが暴露する グラビアアイドルのぶっちゃけ話』、『現役グラドルがカラダを張って体験してきました』(ともに彩図社)などがある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。X(旧Twitter):@sally_y0720
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