T.M.R西川貴教の仕事術「僕は企業家に向いていない」
昨今の風潮として、仕事とプライベート両方が充実している「ワーク・ライフ・バランス」の重要性が説かれ、自分の時間のほとんどを会社に捧げれば「社畜」と呼ばれ、揶揄される。我々は仕事を何のためにやるのだろうか?
ソロアーティスト・T.M.Revolutionとしての活動のイメージが強かった西川貴教さん。しかし、今やバンド活動、ラジオのパーソナリティ、演劇、CM出演、チャリティー活動の立ち上げ人、会社経営者など、様々な顔を持っている。「まるまる1日休みになることはない」という超多忙な西川さんの仕事観に迫った。
――仕事というものは楽しいものですか? それとも苦行ですか?
西川:みなさんは僕みたいな仕事は、さぞかし楽しい仕事だと思っているのではないでしょうか。僕も音楽が好きで、音楽に魅せられ、結果的にそれが生業になっています。もちろん、心底好きなことだからこそ音楽を続けているわけですが、自分の代わりは利かない仕事でもあります。
「風邪」や「親族に不幸があった」等の理由で欠勤し、仕事を同僚に任せることができません。ましてや上司に報告し、仕事を延期してもらうことなんてことも不可能です。音楽を生業として選んだ以上は、親の死に目にも会えないかもしれないし、親不幸な目に遭わせることもある、と両親にもすでに伝えています。体調管理も含め、こうした覚悟を決めることは、プロの仕事の一部だと考えています。
大好きな「歌う」ことや「演奏すること」が心底妬ましく思ったり、苦しく思うこともありますが、やっぱり、自分には「音楽の代わりになるものはない」。そういう唯一無二の存在になっているのも事実です。そういう意味でも、音楽は仕事なのか、はたまた趣味や好きなことの延長なのか――という境界はあいまいで、「ワーク・ライフ・バランス」といったような形で、明確に線引きすることは難しいですね。
だからといって、それが苦痛ということでもありません。とにかく仕事はやらなくてはいけないですし、使命感に駆られるているのかもしれません。自分で会社の経営をやっておいて言うのもなんなのですが、「僕は企業家には向いていない」。だからこそ、周囲のスタッフのサポートが重要だと考えています。
◆企業家としての顔
僕の会社の登記は1998年なので、もうすぐ設立から15年になります。ここまで続くと、僕が動かなくなると、すべてが止まってしまうんです。何をするにしても、もはや「好き」「嫌い」「辛い」というレベルではありません。とにかく何から何まで僕がやらなくてはいけないのです。
――社員の皆さんは、どんな仕事をされているのですか?
西川:僕のプライベートオフィスからスタートしている会社なので、まずはスケジュール管理です。それに加え、僕自身が決めた活動方針や方向性の大枠沿った形で、「ここに向かっていくぞ!」という大きな旗印を設けて、具体的な日付けをつけていく仕事です。初期の頃は1、2人でやっていました。今も10人に満たない組織ですが、部署ごとに役回り、責任をしっかりと持ってもらうようにしています。
20代から始めた会社は20代の感覚を経て、30代の感覚に進化させ、40代の今は、目をつぶっても運営できる状態になっています。人の感覚や嗜好って、その時々に伴って移り変わるじゃないですか。僕自身が旗印はつけつつも、凝り固まらないように心がけています。だから、今はスタッフ自身が僕の旗印に近い方向へ自発的に持っていき、さらに新しい旗印をつけてくれるようになりました。味覚などと同じで、自分は変わっていないつもりでも、慣れてしまうと、飽きてマンネリ化してしまうこともあります。
僕自身がやりたいことに加え、スタッフがやりたいと思う「新しい部分」もプラスしていきたい。経営者としては、一緒に歩むスタッフにやりがいと、楽しさを提供していかなくてはいけません。さもなければ、スタッフは社長に「奉仕する」だけの関係。それではモノゴトは能動的に、前へ進みません。
――中小企業の社長の中には、「オレがやってるんだからお前もやれ。オレが寝てないんだからお前も寝るな」といった形で社員を叱咤激励する人もいますが、西川さんはこういった考え方はお持ちですか?
西川:多少はそういう“嗜好”はあるものの、それだけではダメだと思います。自分が規範にならないとダメ。「社長は遊び呆けてるのに、なんでオレらはこんなに働かなくてはならないんだろう……」と社員から思われてしまうと、人はついてこないと思います。極端なことを言えば、社長がフラーッとしていて、ボーッとしていても社員がついてくる。こんな魅力的な社長になれればいいのですが、その域までは至れないものです。
※T.M.R西川貴教の仕事術【2】「語ることに延長に歌がある」に続く⇒https://nikkan-spa.jp/352460
【西川貴教】
1970年9月19日、滋賀県生まれ。1996年、ソロプロジェクト「T.M.Revolution」としてデビュー。その後「HIGH PRESSURE」「WHITE BREATH」「HOT LIMIT」「ignited」「vestige」「Naked arms」など、ヒット曲を連発。2005年、自身がフロントマンを務めるバンド「abingdon boys school」がデビュー、2008年には「滋賀ふるさと観光大使」に就任し、翌年地元滋賀県にて大型野外ロックフェス「イナズマロックフェス」を4年連続主催するなど、その他司会・俳優など幅広い分野にて精力的に活動を展開している。2013年1月1日,2日には、4度目となる正月のT.M.Revolution日本武道館公演「T.M.R.NEW YEAR PARTY’13 LIVE REVOLUTION」を行う。
<取材・文/中川淳一郎 写真/CHIEKATO(CAPS)>
― T.M.R西川貴教「仕事術」を語る【1】 ―
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