ムリしてポジティブになることの副作用
―[「ポジティブ」という病]―
ひと頃ほどではないにしても、いまだ巷に溢れる「願いは叶う」「自分に目覚める」「諦めたらそこで終わる」といったポジティブシンキングのススメ。確かに、前向きであることは悪いことではない。が、過ぎたるは及ばざるが如しという言葉もあるわけで。
「営業は常に全力投球で、飲み会のときは自分が道化になってまで人を笑わせていた先輩。数年後、ウツになって休職。そのまま、ひっそり会社を辞めた」(42歳・女)
「どうしようもなく落ち込んでいるときに、『頑張れ!』『勝負しないでどうする』などと励まされるのは正直、キツい」(32歳・男)
ナチュラル・ボーンにポジティブな人は、それはそれで結構なことである。が、ムリしてまで己を鼓舞させること、過剰なまでのポジティブ思考は、ときに強迫観念となり、自分ばかりか他人をも傷つけることになりかねない。
そして、ポジティブ至上主義はときに、人を思考停止に陥らせる。
「歌うのが大好きで、歌っていると前向きになれるという後輩の女のコ。比較的自由な会社なので、彼女はいつもヘッドフォンをして、音楽を聴きながら仕事をしているのだが、鼻歌がやたらデカい。注意すると『これを聴いているとポジティブになれるんで!』と嬉しそうに言うだけ。どんだけ仕事で失敗しても反省することなく、『落ち込んでいる時間がもったいない!』と、隣で熱唱されてうんざり」(36歳・女)
「ポジティブ」宣言は、ある種の免罪符にもなるようだ。
また、「自分は納期を守らなきゃと淡々と仕事をしているのだが、どうやらそれは周囲に『ドライで情熱がない』と映っているらしい。一方、同僚は向上心が強くやる気は確かにあるみたいなんだけど、そのぶん、人の仕事ぶりが気になるようで、怒りっぽく、いつも他人や会社に対するグチを言っている。グチってるヒマがあるなら仕事を進めればいいのにと思うのと同時に、そういう彼女が仕事に対して情熱があり、私はやる気がないと言われるのは、なんだかなあって感じ」(37歳・女)と、測りきれないポジティブが過大評価されたりもする。
新しい年を迎え、「今年こそは!」と目標や夢を掲げ、決意を新たにしている人はいるだろう。その一方で、仕事始めを迎えても、なかなか上がらないモチベーションを、どうしたものか?と思いあぐねている人も少なくないだろう。
が、無理やり、気持ちを焚きつけたところで弊害もある。2013年。日々淡々と、ココロもエコモードというのも悪くないのでは。
イラスト/坂川りえ
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