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負け数最多のベイスターズ。弱さの理由は「漁師気質」!?

 2013年現在、日本プロ野球史上、最も負け数の多い球団はどこか?
横浜DeNAベイスターズ

横浜DeNAベイスターズ公式FBより

 一昨年まで通算最多敗記録を持っていた阪神タイガースを抜いた、横浜DeNAベイスターズである。  とはいえタイガースの球団創設は1936年。ベイスターズは14年遅れの球団創設にして記録を塗り替えてしまったのだから、その驚異的な敗戦率の高さには脱帽するしかない。  1998年、圧倒的な破壊力を誇るマシンガン打線で一世を風靡し、38年ぶりの日本一に輝いたベイスターズの強烈な記憶が残っている野球ファンは多いだろう。しかし、その後3年間のうちに佐々木主浩、谷繁元信、駒田徳広、R・ローズ、進藤達哉らを放出すると、2002年からの10年間で8度の最下位。’08年からは勝率3割台の100敗ペースで5年連続最下位に沈んでしまった。  昨年、親会社がTBSからDeNAに代わり中畑新監督に注目が集まったが、最下位脱出はならず。今季もここまで28勝40敗の5位と苦戦を強いられるなど、いまや“史上最弱”とまで言われるまでになってしまったベイスターズは、何故こんなに弱くなってしまったのだろうか。  自身も熱心なベイスターズファンであり、最近『4522敗の記憶』(双葉社)を上梓したライターの村瀬秀信氏は、その理由をこう分析する。 4522敗の記憶「本を書く過程で、数多くのベイスターズの現役選手・OB・球団社長など30名以上の関係者の方にお話を伺いました。彼らの話に共通していたのは、ベイスターズには土台に球団創設時から’01年までオーナー企業だった大洋漁業の“漁師気質”の流れがあるということなんです。“クジラ一頭余計に獲れば選手の給料はまかなえる”という名言を持つ、大洋ホエールズオーナー中部謙吉氏を筆頭に、よく言えば“豪快で奔放なファミリー感溢れる”気質であり、悪く言えば“計画性も何もなく、魚が居れば獲りに行く、責任は船長である監督のクビを挿げ替えて済ませる”という、まさしく一昨年までのベイスターズにも続く伝統的気質です。ホエールズ時代から続く最大の謎である『生え抜き選手を監督にしない』というおかしな伝統も、実は球団には昔から“クジラと監督は外から連れてくるもの”という言い伝えが残っている故なのだとか」  このなんとも大らかなチーム気質は時にはかなり愉快な自体も巻き起こすという。 「例えば、1960年の初優勝も、現在の低迷よりもひどい6年連続最下位からの日本一だった。ところが優勝翌年は再び最下位に逆戻りしてしまったんです。この原因が面白い。“誰も勝てると思っていなかった60年に優勝してしまった為に、その年の優勝旅行が間に合わず、翌年のオフに持ち越しと成った為に、翌年の選手は『勝たなくても優勝旅行行けるからいいや』と気が抜けた……”なんてエピソードがあるんですから(笑)」  しかし、どこか憎めないエピソードも、あまりに負けが込むとOBやファンはさすがに笑えないのでは……。 「お話を伺った関係者からは、ベイスターズを“’38年に一度しか優勝できないチームを作ってきた”という言葉が聞こえてきました。ただ、こうした関係者の多くが、“ホエールズ・ベイスターズ”という特異な球団の中で翻弄されながらも、それらをすべて受け入れ”今日もどうせ負ける”と言いながら、前を向こうとしているんです。僕をはじめ、ファンはそうした姿に何故か未来への希望を感じてしまうんです」 <取材・文/日刊SPA!取材班> ●『4522敗の記憶』(村瀬秀信著・双葉社)  1950年の球団創設時から平松政次、近藤昭仁など大洋ホエールズのメンバーから、横浜スタジアムに移転し『横浜大洋ホエールズ』となってからの遠藤一彦、高木豊。そして日本一のメンバーとなる佐々木主浩、野村弘樹、石井琢朗、鈴木尚典、谷繁元信らに、00年代の暗黒期を支えた内川聖一、木塚敦志、三浦大輔など、球団の歴史を語る上で欠かせないキーマンに総力取材。暗黒時代の元凶と言われたTBS体制が一昨年終わりを迎えた今だからこそ言える、衝撃的な証言もや、’92年の衝撃的な大量解雇事件の被害者となった高木豊や市川和正、’98年の功労者である石井琢朗、谷繁元信、進藤達哉などの発言などには、ファンならずとも必見。  プロ野球とは、ファンとは何なのか。ベイスターズの歴史を総さらえした歴史書的側面がありながら、フロントの立場、監督の立場、選手の立場という、プロ野球の世界で生きるそれぞれの人たちの本音が垣間見れる、貴重な一冊。
4522敗の記憶

ホエールズ&ベイスターズ 涙の球団史

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