ハスラーブーム、再び!? ビリヤードビジネス復興物語【後編】

 ビリヤード「冬の時代」に、「ビリヤードをビジネスにする!」と立ち上がった1人の若者がいた。楠城規之氏(38歳)だ。

 彼は今から10年前、28歳のとき、アメリカ最大のアマチュアビリヤード団体であるAPA(アメリカン・プールプレイヤーズ・アソシエーション)の本部に単独で乗り込み、「日本支部を俺につくらせてくれ」と幹部に直談判。さまざまなハードルを乗り越え、06年、日本支部運営の権利を得た。それが現在、楠城氏が代表を務めるJPA(ジャパニーズ・プールプレイヤーズ・アソシエーション)である。

 それにしても、なぜビリヤードだったのか?

⇒【前編】はこちら

◆劇薬の治験で資金調達!?

「情熱だけはあったのですが、権利を買うための資金がない。そのお金を集めるのが本当に大変でしたね」

 とりあえず大学を卒業した楠城氏は、日本に帰国。就職活動もせず、アルバイト暮らし。

「友人たちからはビリヤードのビジネスなんてやめて、普通に会社で働くように言われましたが、ぼくの心はまったく揺らぎませんでした」

 しかし、時給千円程度のアルバイトで大金が簡単に貯まるわけもない。楠城氏は、金融機関はもちろん、友人・知人のもとを訪ね、夢に描くビリヤードビジネスについて熱く語った。

「当然ですが、銀行はまったく相手にしてくれませんでした。仕方ないから友人・知人を訪ね歩いて、出資を募った。でも、最初はみんな“何いってんだ、こいつ”っていう反応で。あるとき、医者になった友人の1人に会い、この話をしたら、“カネを借りるっていうのはそんな簡単な話じゃないぞ。俺も貸すことはできないし、出資もムリだ。でも、カネになるバイトなら紹介してやるぞ”と言うわけです。治験のバイトでした。『劇薬だから数週間やれば50万にはなる』って。

 ぼくは、それでも“やる、紹介してくれ”って言いましたよ。そのくらい、情熱があったんです。でも、親友にそんなこと言われて、ちょっと悲しかったですね。ところが、帰り際、山手線のホームで別れるとき、分厚い封筒を渡されたんです。『さっきの話は冗談だよ。お前の覚悟を試したかったんだ。じゃあ、がんばれよ』と。このときは、さすがにぐっときましたね」

 こうして、帰国から1年半後、やっと資金のメドがついた。

「周囲の人に恵まれたおかげで、06年に正式に契約を結び、日本でJPAを立ち上げることができました。営利団体ですから、株式会社です」

 それから8年。現在、JPAには200チームが加盟し、会員は活動中だけで千四百名を超えるまでに成長。

「今のところ、関東が中心ですが、今後は関西方面でも加盟チームを増やしていく計画です」

 JPAに加盟するチームは、夏、秋、春の3シーズンごとに各エリアで試合を行って、成績を競う。成績優秀チームには商品券などの景品も出るという。

ビリヤード「関東エリアを4~12チームのディビジョン(地区)に分け、そのディビジョンごとにナインボール、エイトボールのリーグ戦を運営しています。1年を3シーズンに分け、1シーズンを平均14週かけて行います。各シーズンのディビジョン優勝チームは次のステップである関東エリア決勝トーナメント“JPA Kanto Area Team Championship”と、“JPA Tri Cup”という2つの大会の出場権を獲得します。

 各シーズン終了時に行われる“JPA Tri Cup”では、それぞれのディビジョンのチャンピオンチームが集められ、シーズンチャンピオンが決定されます。毎年6月に行われ“JPA Kanto Area Team Championship”を勝ち抜いたチームは、8月にラスベガスで行われる約10,000人以上.が競う世界最大のビリヤードトーナメント“APA National Team Championship”に、日本代表チームとして招待されるます」

 最近は若い女性のチームも増えているという。

「ゴルフみたいにお金もそんなにかからないから、手軽にはじめられるのがビリヤードのいいところです。ゲーム自体も非常に奥が深く、一度ハマったら抜けられなくなる魅力があると思います」

 再び、ビリヤードブームは訪れるか?

<取材・文/日刊SPA!取材班>

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