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【商船三井問題】中国側が報じた“2隻の船の歴史”

商船三井問題

今回の一件を報じる中国のテレビ

 商船三井の大型運搬船が中国で差し押さえられた問題で、菅義偉官房長官は「極めて遺憾」とコメント、日本政府は強い不満を表明している。一方、商船三井側も「原告側に示談交渉を働きかけていたところでした」(同社プレスリリースより)と戸惑いを見せている状況だ。

 一方、中国政府はこの件に関し、政府報道官は「日中間の戦争賠償の問題とは関係なく、一般的な商業契約をめぐる民事訴訟にすぎない」と発言している。中国メディアも、この一件を大きく報じ、およそ70年前の大同海運(商船三井の前身)と中国側の船主(中威輪船公司)の契約関係や経緯について詳しく説明している。

陳順通氏

中威輪船の創業者・陳順通氏

 日本のマスコミでは詳しく報じられていないが、中国側の説明によると以下の通りだ。この説明がどこまで正しいかは不明だが、先の大戦中の「戦時徴用」の問題が改めて浮き彫りになっている。

■1895年、浙江省寧波に生まれた陳順通氏が、国民党の北伐(1926-1928年)において物資輸送で大きな功績を残したのち、中威輪船公司を設立。今回、問題になった2隻の運搬船のうち、「順豊」(約6000トン)は当時、中国で最大級で、陳氏は「中国の初代船王」と呼ばれた。香港特別行政区の初代行政長官・董建華氏の父親も、当時陳氏の助手をしていたという

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新太平

「新太平」とされる写真

■1936年6月および10月に、大同海運は中威輪船公司から「順豊」と「新太平」(約5000トン)を定期傭船する契約を締結。傭船期間は1年。この時、中威側は船に保険をかけていたという

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■傭船期間が満了したが、2隻の船の行方を中威側は把握できなかった。1939年、大同側は2隻が日本政府により、戦時徴用されたと連絡。翌年、陳氏は訪日し、大同側に説明を求めると、同社は「1938年8月22日に日本政府により2隻の船は戦時徴用された」と正式に通告した。

■2隻の船の所有権は当時の逓信省に移った。逓信省は大同海運にこの2隻の船を借し出すという形にして、大同側が引き続き運用。大同側は日本政府に傭船料を支払っていたという。

■1938年12月21日、「新太平」が北海道沖で座礁し、沈没。中威側がかけていた船体保険の保険料は大同側が受け取った。一方、「順豊」も1944年12月25日、西南太平洋沖で連合国側に雷撃され沈没。

■1947年、陳氏が戦勝国からの情報で、2隻がともに沈没していたことをはじめて知る。2年後、陳氏は上海市内で逝去。遺言で「引き続き日本に損害賠償を求めるよう」息子の陳洽群氏に託す。

■1960~70年代にかけ、香港に移民した陳洽群氏は日本を訪問し、日本政府に調査を依頼。その後、日本政府に調停を申し立てたり、損害賠償請求を起こしたが、棄却される。陳洽群氏はこの数十年間、調査や弁護士費用など、経費約60万ドルがかかったという。

■中国で1987年に民法の時効がはじめて設定され、この一件も1988年末に時効になることから、陳洽群氏は上海海事法院に債務不履行等による損害賠償請求を提起した。総勢56人にもおよぶ中国、香港、台湾、アメリカの著名な弁護士によって弁護団が結成された。この人数は中国の民事訴訟史上、最大。

■1992年、陳洽群氏が逝去。長男・陳震氏、次女・陳春秉氏が父と祖父の遺志を継ぎ、訴訟を引き継ぐ。

■提起から20年を経て、2007年に商船三井側に約29億円の損害賠償を命ずる一審判決が出る。商船三井側は控訴するが、2010年に一審判決を支持する二審判決が出て、さらに2011年に最高人民法院(最高裁に相当)に再審の申立を行うが、却下された。


 以上が中国メディアによる、今回の一件の解説だ。日中双方で食い違いが見られるが、果たして真実は……。

<文/日刊SPA!取材班 参照元/鳳凰網・新浪新聞・商船三井HP>

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