山下達郎が惚れ込んだ32歳サックス奏者・宮里陽太「2か月で人生が変わった」
1970年代にキャリアをスタートさせ、約40年間にわたり日本の音楽業界の第一線を走り続け、数多くのミュージシャンに多大なる影響を与えてきた山下達郎。現在でも精力的にライブ活動を行う山下は、10月9日より開始している全国ツアーでも半年間で60以上の公演を行う。
それだけの数の公演が用意されていながら「なかなかチケットが取れない」と言われる山下のライブ。人々を惹きつけるそのライブの魅力のひとつに、日本屈指の一流ミュージシャンが揃うバックバンドの存在があるだろう。
◆「山下バンド」に抜擢された20代のサックスプレイヤー
Pleasure』(2014年)をリリースするまでになり、今年2015年10月14日には早くもセカンドアルバム『Colors(with Horns & Strings)』を発売(2作とも山下達郎がエグゼクティブ・プロデューサーを務める)。
当代一流のサックスプレイヤーへの道を猛スピードで駆け上がる宮里だが、宮崎県出身で、2011年当時は宮崎県内で活動していたという彼がなぜ、どのようないきさつで「山下バンド」に“抜擢”されることになったのだろうか。宮里本人に話を聞いてみた。
◆山下達郎は、予告なしに宮崎まで来た
――サックスプレイヤーとして食べていきたい、という目標はいつ頃から持っていたのですか?
宮里「中学2年生の頃には、そういう夢をもつようになってました。中学の部活でブラスバンドに入り、中2からアルトサックスをやるようになって、たまたま父の趣味で家にアルトサックスがあったので、家でもずっと練習する日々でした。それで東京の音大に進んで、勉強しながらバンド組んで活動したり手作りのCDを売ったりしていました」
――そういった活動をするなかで、2011年に山下達郎さんのところに宮里さんの名前がとどろいたきっかけは何だったんですか?
宮里「その当時すでに達郎さんのバンドでドラムを叩いていた小笠原拓海くんが音大の後輩で、2011年から始まるツアーで達郎さんがサックスプレイヤーを探すなかで、彼が僕の名前を出してくれたんです」
――ということは、小笠原さんの紹介なんですね。
宮里「はい。僕は当時東京から宮崎に戻っていたんですけど、達郎さんが『一度そのサックスを聴いてみたい』ということで、宮崎までいらっしゃったんです。聴きに行きますよ、という連絡や予告もない状況で」
――事前連絡なしですか? それは驚きますよね。
宮里「はい。その当時は、いつかチャンスがあればまた東京に出ようと思いながら地元で活動していて、ある日お客さんと一緒に演奏するようなジャムセッションのライブに出ていました。すると、男性3人組が突然お店に入ってきたんですよね。
そこのお店は基本的に常連さんが多いんですけど、その方々は初めての人たちだったので、『今日はジャムセッションの日なんですけど、よかったらご一緒にどうですか?』という声かけをしたら、『いえ、ただ聴きに来ただけなんです』ってひとりの方がおっしゃったんです。
後から分かったのは、そうおっしゃったのはマネージャーさんで、3人組のひとりは山下達郎さんご本人だったんですよね。確かに、ただならぬオーラを発してました」
――なるほど。その場でスカウトされたんですか?
宮里「いえ、その日は僕が1曲サックスを吹くと、すぐに帰られたんです。で、翌日にすごく久しぶりに小笠原くんから電話があって、『昨日ジャムセッションを達郎さんが見に行ったと思うんだけど』っていきなり言われて、そこで『あ、あの3人組か!』って分かったんです。
その後に、『一度山下がセッションしてみたいと言ってるんですけど、東京に来ませんか?』と連絡をもらって、それを奥さんに伝えたら『やるしかないでしょ』と背中を押され東京に行きました。
東京で実際に何曲かセッションさせてもらったら、『いいね』とか『決まり!』とかっていう言葉はなかったんですけど、達郎さんがなんとも言えない笑みを浮かべられて、その後に唐突にツアーのスケジュール調整がはじまって、そこで『あ、合格だったんだ』と分かったという感じでしたね。もう、すべてが夢のような展開でした」
――短い期間で、ご自身の置かれている状況が大きく変わったんですね。
宮里「はい。達郎さんが宮崎にいらっしゃったのが2011年の9月で、ツアーが始まったのがその年の11月だったので、2カ月で人生が変わりました」
◆山下達郎とサックスで「デュエットしてる」
宮里が山下のツアーで初めてサックスを吹いたのは、代表作のひとつ『Sparkle』の間奏ソロ。同曲の発売時(1980年、アルバム『FOR YOU』)にその間奏を吹き、また「山下バンド」のサックスの前任者であった土岐英史は、宮里の師匠なのだという。
“師匠”の後任として「山下バンド」に参加して4年、ソロアルバムを2枚リリースする日本有数のサックスプレイヤーとなった宮里だが、サックスを吹く際にはどんなことを意識しているのだろうか?
宮里「達郎さんもよくおっしゃるんですが、サックスは非常に声楽に近い楽器なんですよね。僕は、実は元々ボーカルがやりたかったのもあって、サックスを吹くときは歌うように奏でることを意識しています。
歌うように吹け、っていうのはよく言われることですけど、僕はそこを徹底していて、自分で歌うことができるメロディーしか吹かないようにしてるんです。だから、音楽的な言い方をすれば“アウトフレーズは吹かない”んですね。達郎さんには、そこがいいって言っていただけることもあります」
宮里によれば、山下は演奏において細かく注文をつけるようなことはあまりなく、あくまで抽象的なアドバイスに終始するという。
そんな主体性が求められる雰囲気のなか、宮里は山下とデュエットしているようなイメージでサックスを吹いているそうだ。「勝手にそう思ってるんですけどね(笑)」と付け加えるところに、彼の謙虚ながらあふれ出る自信が垣間見えた。 <取材・文/宇佐美連三>
※リリース情報
宮里陽太「Colors(with Horns & Strings)」(2015年10月14日発売)
― 待望の2ndアルバムはホーン・セクションとストリングス・セクションとの全曲LA録音。より進化したプレイと、緻密なアレンジ。カヴァーとオリジナルを含むクワイエット&ソウルフルな全11曲。
2011年、そんな山下のバックバンドに、28歳(当時)のサックスプレイヤーが加入した。その名前は、宮里陽太(32歳)。50代のベテランミュージシャンたちが名を連ねるバンドに突然加入したとあって、「抜擢」という表現がこれほど適する人選もなかなかないだろう。
その後宮里は、サックスプレイヤーとしてのファーストソロアルバム『
『Colors』 より深化したプレイと、緻密なアレンジで魅せる、極上のセカンド・アルバム |
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