この国のロックと映画と文学は、『まどマギ』にすべて殺された【樋口毅宏のサブカルコラム厳選集】
―[樋口毅宏]―
『さらば雑司ヶ谷』『タモリ論』などのヒット作で知られ、最新刊『ドルフィン・ソングを救え!』も好調な小説家・樋口毅宏氏。そんな樋口氏がさまざまな媒体に寄稿してきたサブカルコラムを厳選収録した『さよなら小沢健二』が好評発売中。本書の発売を記念して傑作テキストを特別公開いたします!
(当コラムは『週刊SPA!』2012年3月27日号に掲載されたものです)
すごい。ものすごいよ、『魔法少女まどか☆マギカ』。略して『まどマギ』。この手の萌え系の絵柄に対して長らく偏見を持ち、『エヴァ』を全編見ても「フツーに楽しい」で終わっていた俺も、完全にノックアウトされました!
すいません。これから書くことは、アニメに無知な作家の「ヤラれちゃった」つぶやきとして読んでください。アニメ全般には明るくないのでかなり「知ったか」で書くけど、見終わってからひと月経っても興奮が冷めやらないので許してほしい。
作品としては『ひみつのアッコちゃん』『魔法使いサリー』『セーラームーン』など、連綿と続く魔法少女の系譜にあり、池上遼一の『舞』の影響も散見された。しかし決定的に違うのは、ひとりの少女の解放がそのまま世界の解放へと続くダイナミックな本質論があることだ。
『ダークナイト』にも似た、あまりに暗い世界観、パラドックスと終わらない因果、『乙女の祈り』、自己犠牲、『時をかける少女』、ヘンリー・ダーガー、繰り返される横尾忠則の「Y字路」のイメージ、そして、宇宙の始まりと終わり……。
歴史的名作に絶対必須の名言がまた多すぎる。
「魔法少女としては致命的ね。度を越した優しさは甘さに繋がるし、蛮勇は油断になる。そして、どんな献身にも見返りなんてない。それをわきまえていなければ、魔法少女なんて務まらない」(ほむら)
「希望を祈れば、それと同じ分だけ絶望がまき散らされる」(杏子)
「誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにいられない。わたしたち魔法少女って、そういう仕組みだったんだね。……わたしって、ホントばか」(さやか)
回を追うごとに露わになっていくキャラクターの核。そして、これだけ深いテーマとストーリーを形成するためには、この絵柄が必然だったという時代的要請。白石一文の『一瞬の光』を想起させる、絶望を全うしようとする確信で終えるラスト。
アニメは、ここまでのことができるのだ。この世のすべての賛辞の言葉を与えたい。
セカイ系という言葉を軽く凌駕して、2012年にして、’10年代全ジャンルの最高傑作。この国のロックと映画と文学は、『まどマギ』一作にすべて殺されたよ。
薄々気がついていたけど、今、才能のある人や多感な若者はアニメに行くのだろう。僕がプロレスやロックや映画に救われ、生き方を見出したように、今の若い人たちにとっては、アニメがそうなのだと思う。
『まどマギ』は、死ぬほど甘い砂糖でコーティングされた狂気と絶望の劇薬。樋口毅宏の小説を読む時間があったら、48分のDVD全6巻を見たほうがいいよ。絶対に。
樋口毅宏●‘71年、東京都生まれ。’09年に『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。新刊『ドルフィン・ソングを救え!』(マガジンハウス)、サブカルコラム集『さよなら小沢健二』(扶桑社)が発売中。そのほか著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』など話題作多数。なかでも『タモリ論』は大ヒットに。
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