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サニーデイ・サービス『若者たち』のどこがどう凄いのかを語る【樋口毅宏のサブカルコラム厳選集】

―[樋口毅宏]―
さらば雑司ヶ谷』『タモリ論』などのヒット作で知られ、最新刊『ドルフィン・ソングを救え!』も好調な小説家・樋口毅宏氏。そんな樋口氏がさまざまな媒体に寄稿してきたサブカルコラムを厳選収録した『さよなら小沢健二』が好評発売中。本書の発売を記念して傑作テキストを特別公開いたします! (当コラムは『週刊SPA!』2015年5月5・12日号に掲載されたものです)

20周年を記念して『若者たち』が4月にLP化された。

 ’15年4月21日。記念碑的なアルバムが出てちょうど20年になる。そのアルバムはこの国の音楽シーンを変えた。何もかも変えた。アルバムの名は『若者たち』。サニーデイ・サービスのファーストである。このアルバムのどこがどう凄いのか。順に語っていこう。  一つ目。サニーデイはロックの時間軸、進化論を破壊した。  それまでロックは常に新しい表現でなければならなかった。ブルース→ロック→ハードロック→パンク→ヒップホップ→テクノ→エレクトロ……と(かなり大雑把だが)、ロックは発展してきた。電化製品のように最新型こそ最強でなければいけないと僕も思い込んでいた。  渋谷HMVがまだ宇田川町にあった頃、試聴機で初めて『若者たち』を聴いたとき、僕はヘッドフォンを叩き付けた。「こんなもんどこが新しいのだ」と。しかし、一週間もしないうちにまたHMVに、今度は購入しに行った。頭の中で「ご機嫌いかが?」や「街へ出ようよ」が鳴りやまなかった。新しさとは表面的な音楽のスタイルではなく、本質・本物にも使われるということを教えてくれたのがこのアルバムだった。以降、僕はサニーデイを追っかけるようになる。  同時代にイギリスではオアシスが現れた。彼らも音的にはまったく新しくなかった。しかし世界は彼らを熱狂的に迎え入れた。セカンドアルバム『モーニング・グローリー』のジャケットは、向こうへ行く男とやってくる男がすれ違う写真だが、もちろん向こうに行く男はオアシスで、やってくるのはビートルズだ。ロックは一周した。もしくは輪廻転生した。当時渋谷陽一も同じようなことを言っていたから間違いない。  ちなみに’97年にサニーデイが出したシングルが「NOW」。同じ年にオアシスが出したアルバムは『BE HERE NOW』。サニーデイは日本のオアシスだったのだ(だから俺はライブでも全曲大声を張り上げて歌っていたのに、他の客はみんな満員電車の中で吊り広告を見ている乗客みたいに大人しく黙って突っ立っているだけで欲求不満が溜まった。サニーデイの曲の解釈の違いなのか? だからいまだに他のサニーデイのファンと話が合わない)。  二つめ。はっぴいえんどの再評価を完全に決定付けた。これも大きい。世間では今「はっぴいえんど史観」なるものがあるそう。はっぴいえんどが今ある日本の音楽シーンのすべてに関わっているみたいな。はっぴいえんどの最初の再評価は解散後のメンバーの個々の大成功(今さら書かない)だが、その次は間違いなく『若者たち』だ。立教大学生だった曽我部恵一はフリッパーズ・ギターのフォロワー的な音楽をやっていたが全くウケず、精神状態ボロボロで故郷香川県に戻り、ロックマニアなのにそれまで聴いてこなかったはっぴいえんどの世界観に覚醒、『若者たち』を作る。そして次作『「東京」』で評価を確固たるものにし、現在へと繋がっている。  今さら言うまでもなく曽我部恵一は凄い。サニーデイ解散後もソロや複数のバンドで毎年必ず素晴らしいアルバムを出し、トップランナーとして走り続けている。同い年として、彼はいつも眩しい。  21世紀に入って日本語に拘った文学性の高さを売りにしたバンドがいっぱい出てきた。それなりに評価されているけど、はっきり言って曽我部の足元レベルだよ。歌詞は書き手の読書量がそのまま出る。シンガーソングライターたちよ、曽我部を見習って書を取れよ、町へ出るのはその後だ!

樋口毅宏の“愛”溢れるコラム集『さよなら小沢健二』(扶桑社)は好評発売中!

樋口毅宏●’71年、東京都生まれ。’09年に『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。新刊『ドルフィン・ソングを救え!』(マガジンハウス)、サブカルコラム集『さよなら小沢健二』(扶桑社)が発売中。そのほか著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』など話題作多数。なかでも『タモリ論』は大ヒットに。
―[樋口毅宏]―
さよなら小沢健二

サブカルクソ野郎の人生全コラム


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