プロ野球“ハンカチ世代”の光と影。育成契約から這い上がった投手の野球人生
2006年夏、斎藤佑樹(北海道日本ハムファイターズ)が「ハンカチ王子」として、甲子園を沸かせたのは人々の記憶に残っていることだろう。かつて世代の頂点に君臨していた斎藤も、いまや32歳。期待された活躍をみせることなく、来季はプロ11年目のシーズンを迎える。
そんな彼と同世代のプロ野球選手、通称「ハンカチ世代」には柳田悠岐(福岡ソフトバンクホークス)や大野雄大(中日ドラゴンズ)、他にも石川歩(千葉ロッテマリーンズ)や秋山翔吾(シンシナティ・レッズ)といったそうそうたるメンバーが名を連ねるが、この世代には彼らのように輝きを放つことなくユニフォームを脱いだ選手も当然いる。
小学校5年生から野球を始め、「家が近かったから」という理由で地元・埼玉にある県立高校で野球をすることを選んだ黒沢さん。その後、進学した城西国際大学で才能が開花しプロへの切符を掴んだが、いわゆる野球エリートが歩むキャリアとは違う。それは、プロ野球の世界に入ってからも同じだった。
「今は一緒になりましたが、当時のロッテは支配下選手と育成選手で住む場所が違ったんです。支配下は浦和にある選手寮、育成はロッテの社員が暮らす独身寮に住んでいました。朝ごはんを食べに選手寮に行き、練習をして夜ご飯を食べたら独身寮に戻る、というスケジュールでした。
他の球団は違うかもしれませんが、ロッテでは育成選手は車に乗ってはだめというルールもあります。『悔しかったら支配下になりなさい』ということです。車がないから雨の日に練習場に行くのも大変でしたね。唯一のメリットは、僕の住んでいた寮は選手寮より最寄り駅に近かったってことくらいかな(笑)」
2020年、日本シリーズV4を達成した福岡ソフトバンクホークスのレギュラーメンバーの中に育成出身の選手が多いことは、野球ファンの間では有名な話である。背番号は3桁、支配下登録されない限り一軍の試合に出場できないといった厳しい条件ではあるにもかかわらず、育成選手から這い上がるケースが増えているのだ。
しかし、「球団によっては、育成選手はアマチュアとしか試合ができない…なんてこともあります。数少ないチャンスをモノにしない限り、二軍の試合にも出場できないということです」と黒沢さんが話すように、現実はかなり厳しい。
「本当に厳しい世界です。その証拠に、僕が入団した年、ロッテには10人の育成選手がいたんですけど、その年のオフシーズンに8人が戦力外通告を受けました。残ったのが僕を含めて2人になったんです」
育成選手といえどもプロ。例えば、地元で一番野球がうまかった…なんていう選手もきっと多いはず。だが、そのような人材でもすぐに見限られてしまうこともあるのだ。
黒沢翔太さん(32歳)もその一人。投手として、2010年のNPBドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから育成1巡目指名を受けた黒沢さんは現在、同球団の職員として働く普通のサラリーマンだ。7年間のプロ生活、一軍での登板は計14回で、勝利投手になった経験はない。
育成選手は住む場所も違う
10人中8人が戦力外に……
1
2
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ
日刊SPA!の人気連載