長島一由前議員、リクルート系企業への転職に「らしいな」の声
先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、当人たちは今、何を見据えているのか
◆特異なキャリアで民間へ転職
(’12年引退⇒民間のシンクタンクに転身・長島一由氏)
衆院選を控えた昨年11月に選挙への不出馬と、民間シンクタンクへの転身を表明した長島一由氏。その決断は臨時国会前に、民主党幹事長へ伝達済みだったという。
「逗子市長時代に特区として申請した年金時効の延長や、事業仕分けを通じた税金の節減など、任期中に自らの使命を果たし、道筋をつけられた場合は、1期で辞めてもいいと考えて仕事をしてきました。また転職先のシンクタンクも、実は’09年衆院選の出馬前に一度入社が決まっていた会社なんです」
民主党への逆風と引退の関連は「そんなに短絡的でない」と話す。
「政治家だけが世の中を動かしているわけではないし、政治色がないほうができることもある。自分は常に『別の可能性』を考えて動くタイプで、ウィンドサーフィンでは全日本選手権1位となり五輪出場も目指したことも。その後テレビ局の報道記者、逗子市長、大学教員など、特異なキャリアを歩んできた。今回の引退も『らしいな』という声が多かったですね」
転職後も、実務として行政のマネジメントを行った経験や、人事運用、行政の仕組みに関する知識を生かした仕事をしたいという。
「特に生き方、働き方、学び方の分野で、研究発表や政策提言を行い世の役に立てたらと思います」
職を替えながらも“やりたいこと”へと向かい続ける秘訣は「職業選択の幅を広げること」だそう。
「私は就職後も複数の大学院で研究を重ねて、職業の選択肢も増やしてきた。『ほかの仕事でも食べられる』という自信があったからこそ、思い切って国政にも挑戦できました。チャレンジしたい人こそ“保険”を持つべきなんですよ」
【長島一由氏】
’67年、神奈川県生まれ。フジテレビ報道記者、逗子市長などを経て、’09年の衆院選で初当選。先の衆院選には出馬せず、リクルートワークス研究所の主幹研究員に転身
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