元大臣が「借金整理ひとすじ」の弁護士になるまで
先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、政界とは別の道を選んだあの先生たちの今を追った
◆かの自治大臣が一般市民の債務整理を手がけている
(’01年落選⇒弁護士活動に専念・白川勝彦氏)
「現在の国会議員に、政治哲学のある政治家などいません。法案採決時の数合わせ議員が9割以上でしょう」と嘆くのは、’79~’00年にかけて自民党で6期衆議院議員を務め、自治大臣や国家公安委員長などを歴任した白川勝彦氏。だが、’01年に衆院選落選後、債務整理を専門とする一弁護士に。
「私が初出馬した当時は自民党公認候補でも、党からの活動費なんてもらえなかった(笑)。活動費目当ての候補者ばかりでは政治哲学を持った政治家など育ちません」
白川氏が国会議員だった当時は、歳費などの報酬のほか、年間2億円近くを献金で集めていたという。
「最近の政治家はカネが集まらないと言うけど、政治がわからないバカにカネを出す人などいません」
白川氏は議員になった後、’90年と’01年の2回落選を経験した。
「当時は命がけの選挙戦で支持を得ることができず、『なんで俺が落ちて、あいつが……』と嘆きながら残務整理をしていたね。『死んで終わりの戦国武将のほうがまだマシ』と思うほどでした」と笑う。
さらに国家公安委員長まで務めたのに、落選後の’04年と’06年には、渋谷の路上で職質を受けるという憂き目に。
「笑い話だけど、信条とする『自由主義』から逸脱した、不当な職質がショックでブログに書いたら、思いのほか反響が大きかったね」
’08年からは弁護士活動に専念。
「今はブログなどを通じて、永田町の外から、『自由主義』を発信しようと考えています。議員という議決権のある立場でなくとも政治活動はできますから」
【白川勝彦氏】
’45年、新潟県生まれ。’79年の初当選から’90年まで、そして’93年から’01年まで衆議院議員を務め、自治大臣や国家公安委員長などを歴任。現在は弁護士として活動中
― 「タダの人」になった元国会議員のその後【6】 ―
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