国立の歴博が、入場料収入をアップさせる秘訣(5)――東アジアだけではなく、世界史的な観点から

歴博報告書

歴博の外部評価委員会の報告書に見る「東アジア」重視

展示内容に影響力を残す宮地正人氏の存在感

 さて、強烈なマルクス主義史観をもつ宮地氏が、なぜ国立の歴博の館長に就任したかは、はなはだ疑問である。詳しい経緯をご存知の方には、是非とも教えてもらいたい。  歴博の館長は、会社で言えば社長みたいな位置づけであり、人事権も有している。ましてや、宮地氏は共産党に連なる歴史学者の中で重鎮といえる人物である。自分の目に適う学者を登用し、歴博の展示の視点にも大きな影響を与えたことは想像に難くない。  講座制をとる学者の世界では、かつては、教授――助教授(現在の准教授)――講師――助手(現在の助教)という階層があり、教授の目に適わなければ講師にもなれないという封建的な徒弟制度があったといわれている。そのため若手研究者の中には、研究職を得るために、そうした教授の覚えめでたくなるような学説を唱える傾向も一部にあったという。  本連載では、歴博の展示に関して、「展示側の認識が強く示されすぎる」との問題点を指摘してきたが、これは、館長だった宮地氏の歴史観が今なお影響していることの表れではないだろうか。    ところで宮地氏は、東アジアという言葉をかなり重視しているようで、前述の「赤旗」では、700字に満たない一文の中に「東アジア」という言葉が4か所も出てくる。  また、前述の監修本『日本近現代史を読む』の「刊行にあたって」では、3ページの文章の中に、「東アジア」が5か所も出てくる。  歴博は、「アジア・太平洋戦争」の呼称にこだわるならば、「アジア」は、中東の西アジアや中央アジアを含むもので地理的概念として広すぎであり、「東アジア・太平洋戦争」という呼称にしたらどうかと、皮肉めいたことも言ってみたくなる。  実際、当時の日本は、「大東亜戦争」を正式な呼称としていたため、佐藤誠三郎(1932~1999)氏(東京大学名誉教授)は、「大東亜・太平洋戦争」という呼称が一番すっきりすると述べている(岡崎久彦氏との共著『日本の失敗と成功』扶桑社、平成12年6月発行、181~182ページ)。  先の大戦に関してこれだけ呼称があるならば、歴博はむしろこれを逆手に取り、「先の大戦の呼称」という展示コーナーを設け、解説してみたらどうか。その方が、見る人に興味をもたらすのではないか。

東アジアへの偏り

 さて、宮地氏との関連で、東アジアという言葉で気になるのは、歴博が出している報告書の内容である。その報告書とは、「国立歴史民俗博物館外部評価報告書――歴博の展示について――」(平成22年3月)であり、これは、歴博が任命した外部の大学教授を中心とした6名で構成される「歴博外部評価委員会」に展示内容について評価をしてもらい、その意見を参考に改善を図るというものである。  その外部評価委員の一人である李成市(早稲田大学文学学術院教授)氏は、その報告書で次のように記す。 「『縄文はいつからか』という問いは、あまりに日本国民だけを対象にした問いではないだろうかという疑問である。(中略)歴博が日本列島の歴史や文化を東アジア地域との関係の中で追究することを大きな主題として取り組んでいるがゆえに、あえて誤解を恐れず述べておきたい」(同報告書、46ページ、上の画像参照)  歴博は本当に、日本の歴史や文化を、東アジア地域との関係の中で追究することを大きな主題としているのか。  しかし、歴博のホームページに掲載されている【歴博パンフレット「歴博のめざすもの」】などを見ても、東アジア地域との関係で見ることが大きな主題とは、どこにも書いていない。  にもかかわらず、李成市氏がそのように述べるのは、歴博の中に暗黙の了解として東アジア重視という枠組みがあり、これは、宮地氏の影響がいまなお歴博に大きく残っていることに起因しているように思える。  むしろ歴博は、わが国の歴史や文化について、東アジアという枠組みにとらわれず、世界史の観点から見ていくことを大きな主題とすべきなのではないか。(続く) (文責=育鵬社編集部M)
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