「自虐労働観」で日本人の労働を批判するマスコミに欠けている視点

歴史認識問題と同じ過ちを繰り返すマスコミ

<文/佐藤芳直>  「長時間労働の是正」と「労働生産性の向上」を掲げて政府が進めている「働き方改革」。それらが重要な課題であるということについては、論を俟たない。  だが、マスコミの報道を見るにつけ、ここぞとばかり長時間労働の問題点を言い立て、その諸悪の根源は「日本人の労働観」であり、そこから改善せねばならないと、歴史認識問題の「自虐史観」ならぬ、「自虐労働観」が横行している。  筆者は、「働き方改革」の議論には、ある視点が決定的に欠けていると思う。それは、私たちが今、豊かな生活を享受し、「ワーク・ライフ・バランス」を議論できるようになったのも、私たちの父母や祖父母が、敗戦後の焼け野原から日本の復興のために「ワーク・ライフ・バランス」など考えず一生懸命働いてくれたからであるという、「先人への敬意」である。そして、人間にとっての「働き甲斐」「生き甲斐」は何かという問いかけである。

生き残った大正生まれの人々の使命

 日本は昭和20(1945)年、大東亜戦争(太平洋戦争)に敗れたが、我々日本人は、戦後の焼け野原から復興を果たし、世界第3位の経済大国にまでなることができた。日本の戦後復興と高度経済成長の原動力は何だったのか。日本はアメリカにあれだけの大敗を喫したにもかかわらず、どうしてこれだけの経済大国を再興できたのだろう?  大東亜戦争を実際に戦った兵士たちの多くは、大正生まれの世代だった。大正元年から15年生まれの男子は、昭和20年には19~33歳だ。彼ら約1348万人の内、約15%が戦死。実に7人に1人の割合だった。  終戦を迎え、生き残った人たちはその時、何を思ったのだろうか。私がまだコンサルタントの卵だった頃から訪問させていただいた、埼玉県行田市の十万石という和菓子屋がある。創業者の横田信三さんはインパール作戦の生き残りで、餓死寸前の骨と皮だけになりながらも日本に引き揚げてこられた方である。横田さんは私に度々次のような話をしてくださった。  「日本が戦争に敗れ、思い返してみると、自分よりも優秀な人がみんな死んでいった。なんであんな優秀な人が、という人から死んでいって、自分は生かされた。生かされた以上、自分は亡くなった方々に何かで恩返しをしなければいけない……」  私が仕事でご一緒させていただいた大正生まれ世代の経営者には、このような方がたくさんいた。自分は生き残った、せめて戦前と同じ水準までこの国を高めていかなければ……。それは生き残った者の使命だと、その思いを胸に黙ってやってこられた人たちがいたのである。  そして、「自分には何らかの使命がある」と考えた時に、やはり物量あるいは豊かさに対する日米の強烈な差に思いが至ったのではないだろうか。だから戦後、企業戦士として自分の人生を「日本が豊かになるために」、あるいは「アメリカに絶対に負けないように」捧げようという意識が強かったのだと思う。そのような気持ちを原動力にして、日本は戦後の高度経済成長を成し遂げていったのである。

「全体善を考える」特性

 さらに、日本が戦後復興を果たした理由として、「全体善を考える」という特性が挙げられる。「私」よりも「公」を優先させる。これは現在から見れば当たり前のようだが、19世紀から20世紀の中盤にかけて、全体善を考えた国民など世界にいるはずがない。確かに、英国には「ノブレス・オブリージュ」という、社会に対して個人が無償で奉仕する観念があるが、それはあくまで貴族階級の態度や義務について述べた言葉である。しかし日本には、全体の善を考えて行動する、という発想が庶民の隅々に至るまであった。  経営コンサルタントで船井総合研究所の創業者である故舩井幸雄先生は、「日本人は一億総エリート」とおっしゃっていた。舩井先生が言うエリートとは、「全体を知ろうとする」「全体善を考える」「全体のために行動しようとする」資質を持つ人であり、日本人は庶民に至るまでこの資質があると語っていた。  まず第一に、日本人は「全体を知ろうとする」。例えば、村落で共同で農業を行うためには、水利や各々の家の家族構成、病人がいるかなど、村全体のことを知ろうとする。  これは現在の会社でも同じである。社員に気持ちよく働いてもらおうとすれば、財務、経営の数値、経営者の考え方、顧客からの声など、会社全体のことを公開したほうがいい。時代は変わっても、成功する経営の基本は、「全員参加型一体化経営」である。やはり日本人というのは、自分の働いているセクションのことだけ知ろうとするのではない。全体を知ろうとする。パート従業員であっても、今お店の経営が苦しいとなったら、もっと頑張らないと、と思うのが日本人的である。  第二に、日本人は「全体善を考える」。欧米はやはり個人善である。自分の利益ということが、常に中心的に来る。これは民族特性であるから悪いことではない。シナ大陸にできた各王朝も個人善である。王朝が変わる度に大きな殺戮が起こり、富の移動が起こるのである。全体善を考えていたとしても、突然、天変地異のように王朝が代わる。だが、日本ではやはり全体善を考えようとする。日本には信頼するに値する皇室があり、しかもそれが現在まで続いている。そのような環境の中で私たちの祖先は、全体を考えて世の中をより良くしようと考えた。  そして三つ目は、「全体のために行動しようとする」ということである。  世界を席捲した日本的経営の特性は何かと考えた時に、それはこれら「全体を知ろうとする」「全体善を考える」「全体のために行動しようとする」という日本人の特性を活かしたものだった。

3・11に世界が驚嘆した日本人の3つの特性

 3・11からもう6年経つ。筆者の会社は宮城県仙台市にあるが、この時期になるとあの日のことが強く思い起こされる。その哀しみの記憶は本論から逸れるので述べない。ここで筆者が述べたいのは、あの時に世界が驚嘆したのは、日本人のこの3つの特性だったということだ。  自分たちのことだけではなく、全体のことを考えようとする。「私たちの地域には支援物資は十分だ。違う地域に持っていってやってほしい。あっちの地域の方が大変じゃないか」そんなことを言える日本人に世界の人々は驚いた。自分のことはもちろん大事だが、それでも全体のことを考え、他者のことを考え、行動したのである。  大きな津波が迫っていて、この水門を閉めなければ津波が町を駆け上ってくる。もう目の前に津波が迫っている状況で、全体の善のことを考えて、自分の命を全体のために使おうとする。もちろん自分の命は大事である。しかし、全体の善は何かと考えて、そのために自分の命を懸けて行動した人々がいた。

農耕定住型の安定継続社会が育んだ国民性

 なぜ日本人に昔から「全体善を考える」という発想があったのか。それは、日本人が農耕定住型の安定継続社会の中で生きてきたことが大きい。「村のために」という気持ちが、子々孫々へ伝えられてきたのである。  先祖が開墾し受け継がれてきた田畑、その先祖の血と汗と涙が染みついているこの土地にずっと住んでいるという意識が強かった。そして、稲作は集落での共同作業が収量を決める。定住する安定した村落づくりが、地域の、引いては一家の富を高めることになる。  だから、村を綺麗にするために朝から掃除をする、ごみが落ちていたら拾う、草が生えていたら抜くなど、当事者意識で考えて自分にできることをした。  なぜなら、自分の家は代々、その土地にずっと住んできて、これからも住み続けていくからだ。こうした社会では、「あいつはわがままで、さっぱり村のことに参加しなかった」と言われるような利己的な行動は一家の恥になる。  どんどん移り住んでいくのであれば、村の評判など気にする必要もなく、村が綺麗になることにも無関心で生活できるだろう。しかし、子々孫々までずっと同じ地域で生きていくからこそ、全体善で考えるようになったのだ。  敗戦後、日本人が持つこうした特質や長所を基盤とし、識字率に代表される分厚い社会資本を結集し、国民的な総意を持って、「死んだ人たちのために」と励んだことが、戦後復興の大きな力になったのである。  長時間労働の是正、非正規労働者の待遇改善、これは、少子高齢社会の日本の未来を考えても、女性、若者、高齢者の労働環境の観点からも重要な課題であることは間違いない。  一方で、「働き方改革」の議論に当たっては、私たちが今、豊かな生活を享受し、「ワーク・ライフ・バランス」を議論できるようになったのも、私たちの父母や祖父母が、敗戦後の焼け野原から日本の復興のために「ワーク・ライフ・バランス」など考えず一生懸命働いてくれたからであるという、「先人への敬意」を忘れてはならないだろう。 【佐藤芳直(さとう・よしなお)】 S・Yワークス代表取締役。1958年宮城県仙台市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、船井総合研究所に入社。以降、コンサルティングの第一線で活躍し、多くの一流企業を生み出した。2006年同社常務取締役を退任、株式会社S・Yワークスを創業。最新刊は『なぜ世界は日本化するのか』(育鵬社)。
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