中学校歴史教科書で「聖徳太子」が復活した!(2)――国民の間に定着している歴史用語を変えることには慎重でありたい

『日本書紀』に見られる「厩戸[豊聡耳(とよふさみみ)]皇子」の文字(国宝北野本巻22)

歴史用語は、現行の学習指導要領に戻る方向

 前述したように、中学校の歴史用語に関して次期期学習指導要領では、当初の案とは異なり、これまでの用語に戻す方向だ。 ①厩戸王(聖徳太子)  ⇒聖徳太子(厩戸皇子)  それ以外にも、 ②モンゴルの襲来(元寇)⇒元寇(モンゴル帝国の襲来) ③江戸幕府の対外政策  ⇒鎖国などの幕府の対外政策  さらに、 ④大和政権(大和朝廷) ⇒大和朝廷(大和政権)  との方向で最終調整が行われていると聞く。  いずれも、現行の学習指導要領の表記を重視しており、パブリックコメントを重んじた文科省の姿勢は評価できる。

「鎖国」は翻訳語だが、由緒ある歴史用語

 さらに言えば、例えば③の「鎖国」についてである。江戸幕府が窓口を制限しながらも、海外との交易を行っていたことを重視して、鎖国の表記をやめ「江戸幕府の対外政策」に変えようとしていたが、幕末に「開国」があるのに「鎖国」がないのは分かりにくいといった意見が寄せられ鎖国を復活させることにした。  そもそも鎖国は、江戸時代の元禄期に来日したドイツ人医師ケンペルが帰国後『日本誌』を出版し、その中の一節を江戸時代の蘭学者である志筑忠雄(1760~1806)が「鎖国」と翻訳したことに始まる由緒ある歴史用語である。  歴史教育にあっては、国民の間に定着している歴史用語を変えることには慎重であった方がよい。

現在の中学校歴史教科書では、聖徳太子(厩戸皇子)が主流

 では、1万円札の紙幣にもなり、国民の間に広く定着している聖徳太子という名称を、文科省はなぜ()書きにしようとしたのかという点である。  新聞報道によれば、聖徳太子(574~622)という名称は没後100年ほどたった際の諡(おくりな)であり、生存時の名前を優先させたいという意図のようであった。  しかし、『日本書紀』(720年に完成)では、厩戸皇子と表記されており、厩戸と表記するのも矛盾がある(この点は後述)。  実際、中学校で使用されている歴史教科書の表記はどうなっているのか調べてみた。現行の学習指導要領で編集されている中学校の歴史教科書は、現在8社から発行されており、その表記の内訳は以下の通りである。  聖徳太子(厩戸皇子)=6社  聖徳太子(厩戸王)=1社  厩戸皇子(聖徳太子)=1社  ちなみに、現行の中学校学習指導要領では聖徳太子とだけ記されおり、厩戸皇子、厩戸王の表記はないが、各社とも近年の聖徳太子研究の成果を受け、厩戸皇子(1社だけ厩戸王)を併記している。なお上記のうち、厩戸の読みに関して「うまや」と、濁点を用いない振り仮名を採用している会社は3社ある。  文科省では、同じ時期に改訂される小学校学習指導要領の案では、社会科で歴史を学ぶ際に「聖徳太子(厩戸王)」という表記を用いるとしていた。  これは、小学校では人物学習に重きを置くのでなじみの深い聖徳太子という名称を優先させ、史実に触れる中学校では厩戸王を優先させる狙いだったというが、これもまた、説得性に欠ける説明であった。(続く) (文責=育鵬社編集部M)
もう一度学ぶ日本史

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