カネで読み解くビジネスマンのための歴史講座「第35講 ・ジェノヴァ債の史上最低金利更新」

サン・ジョルジョ銀行

サン・ジョルジョ銀行

ハイパーインフレはなぜ起きた? バブルは繰り返すのか? 戦争は儲かるのか? 私たちが学生時代の時に歴史を学ぶ際、歴史をカネと結び付けて考えることはほとんどありませんでした。しかし、「世の中はカネで動く」という原理は今も昔も変わりません。歴史をカネという視点で捉え直す! 著作家の宇山卓栄氏がわかりやすく、解説します。                   

ジェノヴァの世紀


 ポルトガルは新航路開拓で商業利益の拡大を狙ったため、ジェノヴァと思惑が一致しました。ジェノヴァはポルトガルに積極的に資金を拠出し、これを支援し、両者のジョイント・ベンチャーが立ち上がります。

 ポルトガル王の子、エンリケ航海王子は、アフリカ西岸を探査するため、繰り返し、船団を派遣します。1445年、アフリカ最西端のヴェルデ岬を廻り、現在のギニア地方に達します。エンリケ航海王子の派遣した船団はアフリカに関する様々な情報をもたらし、インド航路開拓の期待を高めました。

 1498年、ヴァスコ・ダ・ガマがインドのカリカットに到達した報が届くと、ヨーロッパ中が騒然となります。インドで、3ダカットで手に入る50キロの香辛料がヨーロッパでは80ダカットの値が付いていました。

 インド航路による香辛料貿易でもたらされる富は莫大であり、ポルトガルの共同事業主のジェノヴァに、ヨーロッパ中の熱い視線が注がれ、ヨーロッパ中の投資家が競って、ジェノヴァに資金を投資しはじめます。

 ブローデルは、16世紀を「ジェノヴァの世紀」と呼び、ジェノヴァに、近代資本主義への「資本蓄積の淵源」を見出だすことができる、と述べています。

ジェノヴァ債の金利低下のメカニズム


 投資家にとって、新興国ポルトガルに投資することは、躊躇されましたが、金融の発達したジェノヴァへの投資は安心感の伴うものでした。ジェノヴァは中世以来、手形ビジネスが盛んで、信用を築いていました。

 ヨーロッパの投資資金がジェノヴァに集中し、ジェノヴァ債は飛ぶように売れ、ジェノヴァ債の金利を3~4%付近へ押し下げていきます。因みに当時の債券は4~5年償還のものが標準でした。

 14世紀後半から15世紀の各国の商業貸付の利子率はイタリア諸都市が5%付近、オランダが10%付近、フランスが15%付近で推移していました。

 この時代、新大陸産の銀が大量にヨーロッパにもたらされ、「価格革命」という激しいインフレに見舞われていました。ヨーロッパ中でインフレが進行する中、ジェノヴァがこのような低金利を維持していたのは、ジェノヴァに資金が集中し、余っていたからです。このことは当時のヨーロッパの金融システムに大きな偏りがあったことを示しています。

異常なカネ余り


 また、ジェノヴァは16世紀以降、スペインにも資金を拠出します。スペインは、ジェノヴァ出身のクリストファー・コロンブスの努力により、新大陸を発見し、金・銀を大量に採取しはじめます。ジェノヴァはこの機を逃しませんでした。

 ジェノヴァはハプスブルク・スペイン国王カルロス1世を積極支援しはじめます。1519年に、神聖ローマ皇帝位の継承に、スペイン国王カルロス1世とフランス王フランソワ1世が名乗りを上げ、両者の間で皇帝選挙がおこなわれます。

 神聖ローマ皇帝は、1356年の金印勅書以来、七選帝侯によって選出されることになっていました。選帝侯を買収するために、カルロス1世は金貨約2トンを、フランソワ1世は金貨約1.5トンを使いました。カルロス1世が選挙戦に勝利し、彼は神聖ローマ皇帝としてカール5世となります。

 このとき、カルロス1世の選挙資金を用立てのが、ドイツのフッガー家、そして、ジェノヴァでした。ジェノヴァのサン・ジョルジョ銀行には、カルロス1世の祖父母であるフェルナンド2世とイサベル1世の両王の時代から、スペイン王の個人口座がありました。

 ジェノヴァはスペイン王国の興隆とともに、その資本を拡大していきます。ジェノヴァの金融は、16世紀から17世紀初頭にかけて、スペインの新領土発見とともに、著しく膨張していきます。そして、異常なカネ余りの中で、ジェノヴァ債は史上最低金利を更新していきます。

【宇山卓栄(うやま・たくえい)】
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。予備校の世界史講師出身。現在は著作家、個人投資家。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで活躍、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説することに定評がある。著書には『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)ほか。

世界史は99%、経済でつくられる

歴史を「カネ=富」の観点から捉えた、実践的な世界史の通史。




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